畠山雄之助・太兵衛家と幻の上野左衛門家ー鈴木大拙ー珠洲市

大拙珠洲を知る上で、現資料から知ることが出来るのは、どこに下宿していたかである。
畠山家の方は永松関著『蛸島の移り変わり』に詳しく書いてあり、『珠洲郡誌』にも町長で名が見える。
一方の上野左衛門という名は、出てこない。
蛸島の移り変わり』に「上野太兵衛=畠山太兵衛」p72や、上野屋太兵衛の分家として上野屋新蔵、新七郎、利右衛門、作蔵、与四郎p47などが紹介されているが、左衛門はない。
 
『つのぶえ』には、「兄さんと一緒に上野ボンザエモンさんに下宿していた」
「上野屋という木賃宿に泊まっていた」と、伝承が記されており上野・上野屋という名が印象に残っている。
ボンザエモンと左エ衞門が近い、としかいいようがない。

蛸島の移り変わり』に上野=畠山とあったり、
畠山家は上野屋様(ウエンニャサマ)といわれていたとあること、
弘化5年塩井家香典帳に上野光行寺とある、とある記載、
畠山家、光行寺付近に上野家が多いことなどから、
畠山後ろの高台(弁天山公園)が上野(山)であったことは間違いないだろう。

上野地帯を支配していた豪農が畠山で、だから屋号を上野屋と称していた。
そこに大拙が下宿していた、と見るのが自然である。
左衛門問題は残るが、そう考えてよいだろう。