父が拝読していたお通夜でのお文

お通夜で、父は「お文」を拝読していた。
その時、その時のお文だったように思う。


父は19歳ぐらいで、七尾の農村部から当寺に養子に入った。
当時大谷大学の学生で、何かがあれば珠洲と京都を行き来していたようだ。


珠洲弁をマスターしている環境も、暇もなく、随分苦労したのではないかと思う。
珠洲弁を使った父の記憶はない。
伯父は説教で歩いていたし、その祖父は語りぐさになるほどの布教師だったという。
なのに、父は一切法話をしなかった。
その代わり、お文拝読を行っていた。


私は、お文を拝読し、引き続き法話をすることにしている。


「末代無智…」でいこうか、「聖人一流…」でいこうか悩むところだが、最近は「末代無智…」をいただくことが多い。
肉体との別れ、その最後の晩に、その方と共に、あるいは、時には代理のような気分で、お文をいただき、お通夜に集まった方々に聞いていただく…。