法住寺参道・山門前の石造遺物・泣き桜

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参道途中にある袈裟掛け松旧地。
真ん中の碑は「南無青面金剛塔」。
舌状台地の先端部にあたる地で、庚申待ちを行った場所だ。
右の地蔵には「明和八年(1771)六月吉日 願主正田屋」とある。
仁王堂前の大きな地蔵も同年の建立。
青面金剛塔」は「天保戌年(1838)六月十六日」の銘。
この年号は始めて紹介されることになる。


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山門前に堂々たる地蔵、順拝塔などが建つ。地蔵下から238㌢、順拝塔は232㌢ある。


写真右の順拝塔を見たとき、あれっ?と思った。
写真でも分かるように右3分の2くらいに拓本をとった跡がある。
このように墨が残るのは素人だろう、と思って「法住寺史料調査報告書」を見ていると、
そこにこの塔の20分の1の図が載っているのを見つけた。

ところがそこには左側の文字が記されておらず真っ白。
エエ??!!。
多分私が感じたのは間違いないだろう。
ひどいことをするもんだ。


左側には「五月廿八日」と彫ってあるのだ。
報告書には右・中央の「天保六年乙未年 サ(種字)奉供養西国卅三所順拝為二世安楽也」が載るのみ。本文にも5月28日銘があることは当然ながら触れられていない。
天保3年には能登を巨大地震が襲っている。
そのこととこの巡拝は関係がありそうだ。


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何代目かの「泣き桜」。