見附島~中島薬師の伝説地

「唐・恵果阿闍梨に教えを受けていた弘法大師は、優秀だったため師から三杵を授かった。
留学僧に法統のシンボルを奪われることを妬んだ僧たちが大師を追いかけてきた。
大師は日域有縁の地で待つがよい、と三杵を日本の方に向かって投げた。
三鈷は高野山、独古は佐渡小比叡で見つかり、残った五鈷を求めて船を漕いでいると、
経典を読む声が聞こえてきた。
陸に近づくと不思議な姿の島がある。
大師が最初に見つけた島なので見附島の名が付いた( 近くの式内・加志波良比古神社の祭神が最初に見つけたとの伝承、船の着島の意説もあり、享保14年:1729の記録では見月島と記されている )。
そこから、大師は五鈷が架かってお経を唱えていた桜木( 別れを悲しんで泣いたことから泣き桜という )にたどり着くのだが、
「最初に陸に着いたところを「着島」、
上陸して山へ向かった道を「あがりの小路」、
その時わたった橋を「元橋」、
大師が足を洗った井戸を「足洗いの井」と呼んでいる( この地に中島薬師があった )。」
珠洲市史』第2巻p477・1978年。


この伝説の地をあらためて確かめようと訪ねたのである。
法住寺の奥さんに話を聞き、付近を歩いた後に、
中島薬師と関係のある中島氏を訪ねて確かめ、
ここだろうと考えたのが、以下の写真である。
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「あがりの小路」であろう。元橋は現在無い。
鵜飼大橋がそうだという。その近くで大師が杖を突いて出した水があったともいう。
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かつて尼さんが中島薬師を祀っていた堂。
この丘はのと線で分断されているが宝立小学校と続いていた。
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その右下に鵜飼川が流れる。
その蛇行したところに「足洗の井」と伝わる井戸がある。