『消えた村の記録』
「朝日歌壇」に
いい歌があった。
一つは
「手をつなぐほどの若さも老いもなく君とゆきたる秋の大和路」
(生駒市 鳥山有里子)
一つは
「癌組織の位置明らかな映像を吾をなくせし吾が見ている」
(徳島 一宮正治)
最初の歌は大和路だからいいのだろうか。これが能登路だったら?
二首目は、事実の重さ。ちょいと理解できる。
朝日には、「ひと」というコーナーがある。
「消えた開拓村の記録」を著した佐藤晃之輔さんの言葉。
「小さな集落の記録が誰にも顧みられないまま消えていく。
それが惜しくて…」
調べ、残したという。
どこかで見たぞ…とテーブルの上を探すと、あった。
秋田の無明舎の出版の案内。
捨てないで取っておいたのは、今日紹介された「秋田消えたシリーズ」を購入しようかどうしようか…と、
迷いながら、たいがいは捨ててしまうパンフを残しておいたのだった。
消えた開拓村は75集落。
消えた分校の記録は144の分校跡地。
消えた村の記録は125の村の調査、記録である。
購入しないでいるのは、過疎で消えていった村々の記録を読むことによって、
そこから教訓を学び、過疎を少しでも防ぐことが出来ればいいのだが…。
どうも身につまされて、ため息しか出ないのではないか…
という思いがあってのことである。
今日、現在携わっている門前町史の編さん室長さんが校正刷りを持ってお越になった。
そこも廃村の多いところである。
集落から町域に移り住んだ方々から聞き取りを行い、
失われた村を記録を残す。
それが出来るとすれば、もう今しかない。
そのことは分かっておりながら、
時間が取れず、町史に残すことが出来なかった。
そういう思いが、今日の「ひと」の記事と重なり合い、
さらに紹介した二つの歌もあいまって、しみじみとした一日を過ごすはずだった。
が、本業が休みの日は、別な用事が入ってくる。
「ひと」の交流を考えて関わっている作業の案・予定作りで関係者と会ったり、
別な作業の詰めのため、電話、パソコンでのやりとり。
「まちの先生」登録のお断り…。
しみじみ予定は、
冬近い今日の天候のように、
コロコロ変わった。