日野西眞定さんと能登の教え子

               真浦からの夕日 2020年11月28日午後5時17分撮影

 

皆、動き出しているのだーの感慨を抱いているさなか、夕方になって日野西眞定さんの教え子だという人が訪ねてきた。
名も顔も、いつのことだったかも覚えていないのだが、高野山大学で教えておいでた日野西さんが曽々木に来て、自分の教え子が教育実習(だったと思うのだが)で母校に立っているのを激励においでた、その時学生だった人だ…と曽々木の浜とそこで手を振りあってお会いした日野西さんがバーッと浮かんだ。
 
わたしも教員時代教務主任をした時代があり、相当数の教育実習生を引き受けたことがあるが、指導教授が、実習生を激励においでた記憶がない。
(当時のブログによって、教育実習ではなく、能登に一度来て下さいと教え子に乞われ、アエノコトを見においでたのだった。ついでに、後に知り合った大谷大・石橋先生は、飯田高校で教育実習を行っていた生徒の激励に、珠洲に来ておいでた)
 
日野西さんは私が大谷大に入った時、何年か上の学生だった。学生というにはお年を召しておられ、同級生の広岡君の話では、五来先生が高野山大学で教えておいでた頃からのお弟子で、五来先生が高野山大学の文献を読みつくしたのを機に大谷大学に移られ、日野西氏はそのままついてこられて、院で学んでおられるのだという。
院の何たるかを知らず、住職資格を取るために籍を置くことが出来た私にとっては、「お弟子」という初めて出会った人々は、どちらかというと口うるさく煙たい存在だった。
その時の最長老が、一人の学生のために能登の先端までおいでたのである。
その時、何と素晴らしい方なのだろうと、敬愛するお方になった。
 
日野西さんについては、次の2008年3月13日のブログに書いた。