しんしんと 遠田のかはづ天に聞こゆる

8日に親戚の前坊守さんのお通夜にお参りした。

通夜説教を聞いていると、シーンとした御堂にマイクの声と調和しあうように蛙の鳴き声が聞こえた。

そのお寺はあえのことの田の神様画像もある田園地帯にあり、坊守さまを送るのに、いかにもカワズのネがふさわしく、遠田の蛙〜に聞こゆる…だったか、茂吉の歌の「死にたもう母」をはじめとする一連の歌を断片的に思い浮かべていた。

尊いお話ではあったが、お説教の声がカワズの声に呼応しているように思われだし、私がこの場で語るなら、雨期の安吾までも彼女からの贈り物として語るだろう、とあらぬことまで考えながら、又従兄の連れ合いだった方の89歳の御生涯を偲んだ。

 

そして、昨日(16日)の夕刻、渡り廊下で小さな蛙がいる!の声で、のぞくとアマガエルが一匹いた。

池がないのに、いつも、この時期になると蛙の声が聞こえる。

昨夕は、アマガエル。一週間前のお通夜の蛙の声を思い出し、茂吉の歌を調べた。

 

  • 死に近き母に添寢のしんしんと遠田のかはづ天に聞ゆる
  • のど赤き玄鳥(つばくらめ)ふたつ屋梁(はり)にゐて垂乳根の母は死にたまふなり(『赤光』)。

歌集『赤光』は、阿弥陀経の「池中蓮華 大如車輪 青色青光 黄色黄光 赤色赤光 白色白光 微妙高潔」の「赤光」ら名付けられている。

極楽浄土の荘厳、金色の本堂内陣に仏の極楽での袈裟・豪華な七條袈裟に覆われてこの世の最後の夜を過ごされた前坊守さん。

昨晩は3日に息を引き取られてから「ふたなのか(27日)」だった。

 

同じ在所にある「田の神さま」画像  

 

これを読めば、場所をぼかしていたのにどこであるかがわかる。つい先日のできごとなので、とりあえずぼかしておいたのだ。時の流れは多くのことを報謝に変えていく。

と、ここで、『日本民俗学』を整理していたら、239号ー特集 日本民俗学の研究動向(2000-2002)に由谷裕哉氏が書いているのを知った。読んでいくと、最後にここに書いた書物に触れておいでる。いまさらだが、2004年にちゃんと問題にされていたのだ。引用する。

最後の最後に「西山に対しても、かなり無神経な形容を付しているのである(二五六頁)。」と私をとりあげてくださっている。遅きに失したが、日本民俗学会から書評を依頼され、違うとか、失礼とか?の書き込みだらけで結局書評は書かない方が筆者のためだし、出版社のためだろうと仕舞い込んであった本を引っ張り出して、そのページを見た。そこには「郷土史西山郷史は…」と書いてあった。

四栁先生たちは「学徒」で、若き誰一人聞き取りをしていない本人は「ビジュアル系民俗学者」だそうで、膨大なデーター分析を試み、高く評価している写真家の表紙に用いた写真は、アエノコトのやらせ写真である。

根拠を書くと、当主が執行するアエノコトなのに表紙に用いられて著名な写真家の写真は主婦が執行し、当主はじめ家族は周りに正座している。この舞台は農村ではなく半農半漁の集落で、アエノコトの頃には当主は漁に出ていて主婦が当主代理として儀礼をおこなう、いわば特殊なアエノコトの写真であり、そこに当主が写っているのは、晴れがましい舞台、著名な写真家に撮ってもらう記念すべき場なので加わったーそのような写真なのである。

 時々、よく似たゴウマンな立ち位置からのいわゆる「学者」に出会うことがあるが、「愚昧の今案をかまえず」(「御伝鈔」親鸞聖人のことば)、学ばせていただいている「愚昧」のわれらであることを、いついかなるときでも肝に銘じていきたいものだ。umiyamabusi.hatenadiary.com