法語カレンダー(真宗教団連合)6月-”あたりまえだ”と言うて まだ不足を言うて生きている(松扉哲雄師)

2015年に能登教区第2組の住職研修の講師をした折、松扉哲雄(1919〜1999)師のお寺・明円寺さんの後継の方にお会いした。松扉師との出会い・いきさつは貼り付けた過去記事「簡単にいうと―松扉哲雄さんとの再会ー」に書いたとおりだが、その日をきっかけに、松扉さんのお寺を訪ね、師の蔵書に触れるのを楽しみにしてきた。

その師のことばが、今月の法話カレンダーを飾っている。

師と師の環境をある程度知っているのだから、今月27日の「同朋会推進員会」で話さない手はない。

法語はどこで語られ、その後の背景に何があるのかを知らないと、私たちよりはるかに広く深い経験や学びから紡ぎだされている「法語」を誤解したまま、分かったような気分で受け止めてしまうかもしれない。

そうしないためには、できるだけ松扉師を知り、できればこの言葉が紡がれた背景(著書があるなら著書を読む)を知らなければならない。

勉強会まで日があるので、じっくり松扉師の著書を読むことにしよう。

と、ブログの過去記事を見ると、

松扉さん世界を知りたくて集めた著書が、少なくとも「簡単に言うと…」に8冊、哲雄師と願いを受け継がれたご子息・博ご夫妻が師の世界を次々に書籍になさった「自知叢書」など12冊、合わせて手元に20冊もの御著書があることがわかった。

            真宗10派

 

これだけの御著書があり、これ以外に私の手元にないものあるだろうし、この「”あたりまえだ”と言うて まだ不足を…」を著書群から見つけ出すのは至難だろう。

まあ、27日の勉強会近くまで松扉さんワールドを楽しもう、ぐらいのゆっくりした気分で著書を繙こうぐらいの気持ちで、手元の著書を取りそろえ、松扉さんに電話して法語カレンダーにお義父さんの言葉が載っていますねーと思い出を語り合った。

 

流石!というべきか、松扉さんは、あの言葉は初期の本に載っているじゃないのかな?

『深く生きる』かも知れない、とおっしゃったので、メモを取りながらじっくり読んでいった。

すると、東野義雄先生が松扉さんの自坊・明円寺においでになったとき話された「九十歳を過ぎた老夫婦の思い出」話を受けて、お書きになった言葉だったのである。

     ※50ページに載っている。

『深く生きる』はもう手に入らないだろうから、ページを追って登場する人々・書物などを挙げておく。

法語の背景を味わいたい。

 

五十がらみの門徒の父ちゃん 4

善導 『往生礼讃』「日没無常偈」 8

中国のお百姓さん 7

東昇先生 西元宗助先生 池山栄吉先生「絶対他力と体験」 11

六歳で『正信偈』、『阿弥陀経』 12

豊臣秀吉 辞世の和歌 15

『出遊経』『南伝大蔵経』 17

高楠順次郎先生 17

自殺なさった老人の手記 21

『法句経』 22

孫兵衛というおじいちゃん 23

清沢満之全集』 30 清沢満之先生 30 147 『我が信念』 79 149 

毎日新聞論説委員をなさっておる高橋義夫という方 31

『沈黙は雷の如し』『維摩経』 32

お釈迦さま 33

ハイデッカー 34 123

正像末和讃』 39、40、43

高光一也先生 41、43

今東光という人 45

亀井勝一郎『愛の無常』 45

『大経』 48

見真大師 48

東井義雄先生 49 「支えられてわたしが」57 72 『根を養えば樹は自ら育つ』 76、88

九十歳過ぎの老夫婦 49

<“あたりまえだ”と言うて、まだ不足を言うて生きている> 50

五十からみの母ちゃん 52

『小経和讃』 66

歎異抄』 67 第九章 143

戦争で主人を亡くしたカアちゃん 69

花田正夫先生 『歎異抄―私の身読記-』 71

曽我先生 78

平沢興先生 85

荒井(良)先生『胎児の環境としての母体』 91

「ねえおとうさん」(不明) 92

六十五、六歳のおばあちゃん 101

仲使いさん 105

昭和二十年女学生三年生であったお方(被爆者) 110

九条武子夫人 短歌3首 112 122 123

ヘルマンヘッセ 114

石井完一郎先生 『青年の生と死の間』 115

孫悟空 121

平維盛という方 和歌 123

わたし達の先生 124

曇鸞さま 124

小田実という小説家 『宗教を現代に問う』三冊目対談 126

三帰依文』 129

道元禅師 131

『人間成就』「さようなら」作文 十六歳の女の子 132、134

高見順というお方 『死の淵より』 139

『末燈鈔』第十二章 142

米沢先生 150

金子大榮師 159

 ※親鸞聖人、蓮如上人は多いので省略