粟津潔氏、寺山修司氏
今、二つの書庫にたまっている書籍などの整理をしている。
今までに、何度も整理したのだが、右から左状態だったのを分類法を変えてやってみたら、2冊以上ある書物があぶり出されてきた。
民俗仲間、歴史家が亡くなられた後、彼らの家にあふれている書物を捨てるのは忍びないというので、預かりもらい状態や、共同執筆の本で複数著者からの献本(恵与)などが複数冊となってあるのである。
故・山田知子大谷大教授からは、
おいとく場所が無いし、捨てるのもさびしいのでニシヤマさんとこに移して…と
、ブリタニカ英英百科事典全巻を車庫の棚に置いておいたこともある。
あれは、山田さんが京都から車で運んできたのだったか…それとも。
もう曖昧な記憶を確かめ合うことは出来ないのだなぁーとなったあたりで、我に返る。
その整理中ーアサヒグラフ:寺山修司没後10周年特集号を見つけたのでパラパラめくった。
このブログの3月10日に
本の装丁に触れ
現代国語教科書に載っていた栃折久美子「モロッコ皮の本」を教えた時、本は表紙・帯を含めた総合文化でもあることに初めて気づいた、
と書いたが、
その時、身近にあったのが栃折久美子の装丁本「絵本 恋するドリア」(昭和49年1974年8月1日刊)
文:寺山修司、絵:永井泰子だった。
文集というより詩集のような絵本の一作目は写真の「何にでも値段をつける古道具屋のおじさんの詩」で、
エピローグが「時には母のない子のように だまって海をみつめていたい」である。
これらの詩は、
ポリドールレコードLP「カルメン・マキ真夜中詩集 ロウソクの消えるまで」に収められている。
曲も詩も素敵だった。
高校の現代国語に短歌が載っており、アングラとかを包み込む大きさを持った人なのだと知った。
その短歌は
マッチ擦る つかのま 海に霧ふかし 身捨つる程の 祖国はありや
である。
印象に残ったので今も覚えている。
書籍整理中に
その寺山修司の没後10年のグラフが出てきたのだから、ちょっと驚いた。
ここに寺山修司氏のお墓の写真が載っている。
『書を捨てよ、町へ出よう』のイメージなのだろうけど、斬新だと思った。
説明には、
東京・八王子の高尾霊園にある寺山修司の墓。
デザインは粟津潔。
とある。
粟津潔は、美術出版関係に勤めていた連れ合いが持ってきた本で、名は知っていた。
その後、住職になり、
三条にお話に行った序でに親不知ピアパークの橋脚陶壁画を知ったり、
[陶壁画一部]
綺麗な富来トンネル画は、父が富来出身の縁で描かれたことも知り、
父の実家である広覚寺・粟津啓有さん宅にも出入りするようになった。
そういうことから、「粟津潔デザイン寺山修司墓」は前とは違った意味合いを持って眺めることが出来、粟津さんにもアサヒグラフの関連ページを写真にしてお送りした。
23日に啓有さんから、「潔に関する新資料が加わった、有り難う」との電話をいただいた。