幽響院釋尼雅風(2020年4月20日)さん
幽響院釋尼雅風(東条厚子)さん
昨年4月20日に亡くなられ、コロナ騒ぎの最中ではあったが、30日に、静かに手を合わせてきた。
坊守会引率という形ではあったが、恵信尼公の里、飛騨への研修旅行が出来たのは東条さんのお声かけがあったからだとの思いが強い。
私はどこに引率するにしろ、必ず一度コース予定を作り、実際に行ってみることにしている。
越後も、信州も、どこかに記憶にとどまっているのは、旅行を提案して下さった東条さんを中心とする方々のおかげだったのだなあーと、しみじみと浸っている。
去年30日に、お子さんとお会いし「東条厚子インタビュー
Littl Stories」という綺麗な冊子をいただいた。
瀟洒なネーミングに驚き、
15ページにご本人の字で
節目節目でいろいろな方に出会い
私の道を造る礎石となった皆様
本当にありがとうございました。
とあり、
2020年1月に刊行されている。
ガンが進行していて、余命わずかなのを知っていて書かれたに違いない。
-本当にありがとうございました。
そして、研修会に、いつも着物姿で参加され、着物が大好きだった方が、着物を畳まれる写真を添えておられる。
冊子が出来てきたそのころ
1月の17日。合同4組坊守研修会・新年会が七尾であり、着物姿の東條さんはいつものように座が和むように振る舞っておられた。
その日の講義で、ちょっと首をかしげなさった話を、次の講義で説明し、考えようと思っていたただ中の4月に先立たれた。
30日に、冊子をいただいたのだが、ちゃんと目を通すことができなかったのである。
じっくり読み直してみると、中学校で英語の先生をなさっており、情緒障害児学級にも関わっておられていた。
そして、お嬢さん方に恵信尼公などと関係ある名や子供は仏様からのいただきもの・恵みであること意識した名を付けなさったという語りを読み、
あのころ(2010年)恵信尼公の里で、どんなにこころはずませておいでになったろうと想像しながら、
専慶寺さんへ寄った。
前門主の署名のある法名「幽響院釋尼雅風 釈浄如」が、一年の時を刻んでいた。
東條さんのお寺・専慶寺さんは湯川の山腹に建つ
本堂の後背部の山に墓地が見えた。32度程の暑い日だったが、墓地が見えるとふらふらと向かってしまうのは、病というしかない。
墓地からの光景は、この地に住み着いた人々の願いを伝える景観ともいえる。
青空がどこまでも広がっていた。
整備された墓地に、水輪らしきものが一つ。
2010年6月10日、七尾・鹿島合同4組坊守会研修旅行
2014年5月8日。庄川桜 ダムに沈んだ地にあった嘉念坊善俊開基の正蓮寺(1504年中野に復興したときから照蓮寺に改称)中野照蓮寺として堀端町に、高山別院照蓮寺は鉄砲町に法統をつなぐ。中野照蓮寺は真宗寺院の最も古い形を伝えている。撮影者西山
東條さんは着物姿。
このあと、私を集合写真の一人に入れ、東條さんがシャッターを切ってくれた。