蝦夷錦、東アジアの交流

蝦夷錦記事

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今朝の北陸中日新聞蝦夷錦の寄進札は3点ある。石川県歴史博物館戸澗・大井氏が調べていったのはブログの過去を見ると去年の12月。戸澗氏が退職なさっていることもあり、数年前の出来事だったくらいに思っていた。

 

umiyamabusi.hatenadiary.com

 蝦夷錦寄進札は3枚ある。須摩屋藤右衛門(江差)などだが、整理がよすぎて戸澗氏らがおいでたときの写真や、別の法宝物調査時の写真が見つけ出せない。

言い換えれば、検索がうまく出来ないということだ(このバージョンのソフトが使いにくい)。

かろうじて見つけ出した須摩屋は江差総同行中の有力者で、藤田屋與三兵衞・西田屋伴右衛門・本庄屋などとともに天保十二年(1841)に内敷も寄付なさっておいでる。
無縁のため整理したが、墓地に「須广」とあるお墓があった。

須磨ではなく須广姓はかつて、共に民俗調査した須广さんがそうだった。

どんどん思い出が移っていきそうなので、この話はここまで。

これから「臥龍の小径」整備のため、小笹伐り…。

戸澗さんが副会長かぁー。

ぼくにも勉強した日々があったなーー。ぐらいの昨日・今日

 

東アジアの交流と文化遺産

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藤井一二さんから。

紹介したいのは次。

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万葉の総合調査をまとめるにあたって、コロナがやや落ち着くであろう来春ぐらいに能登を訪ねたいと、懐かしい藤井さんから便りがあった。

お返事に飯田からの北アルプス(一般に立山と言っている)の写真を添付した。

それを記事で使ってくださった。

ちゃんとしたカメラマンみたいだ。

そういえば、アナウンサーなどで女流カメラマンという人がいるが、女流にマンはおかしいよね、という記事を読んだ。

女流なら写真家…とか、ともあった。

 

小径整備がどんどん遅くなる。出よう