蝦夷錦、東アジアの交流
蝦夷錦記事
蝦夷錦寄進札は3枚ある。須摩屋藤右衛門(江差)などだが、整理がよすぎて戸澗氏らがおいでたときの写真や、別の法宝物調査時の写真が見つけ出せない。
言い換えれば、検索がうまく出来ないということだ(このバージョンのソフトが使いにくい)。
かろうじて見つけ出した須摩屋は江差総同行中の有力者で、藤田屋與三兵衞・西田屋伴右衛門・本庄屋などとともに天保十二年(1841)に内敷も寄付なさっておいでる。
無縁のため整理したが、墓地に「須广」とあるお墓があった。
須磨ではなく須广姓はかつて、共に民俗調査した須广さんがそうだった。
どんどん思い出が移っていきそうなので、この話はここまで。
これから「臥龍の小径」整備のため、小笹伐り…。
戸澗さんが副会長かぁー。
ぼくにも勉強した日々があったなーー。ぐらいの昨日・今日
東アジアの交流と文化遺産