寺域の木々

若山庄飯田城主の庵だった光福庵の流れを汲む飯田総道場西勝寺も寺域の周りが民家や駐車場になって時が流れた。

何度も巨木の枝を払ってきたが、木々はあっという間に成長し枝も張る。伐採して下さる名人たちもそろそろ高齢になり、いろんな点で限界に至った。

それで、欅の葉が散る前に、欅4本、榎2本、棕櫚4本、梨1本、欅の枝2本、椿数本の枝を、この18日から22日にかけて切っていただいた。

その間、暇さえあれば、名人技を口開けて眺めていた。

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欅2本榎2本の頃19日

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道路・電線に影響のない大きな欅2本については枝を払い、銀杏は残した。21日

 

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この欅の葉の下が駐車場で、葉が散り出すとどうしようもない状況になる。今までは近くに門徒さんたちもおいでになり、時には掃き掃除もして下さっていた。とはいえ、葉の茂りようもそれほどではなかったのである。寺域の木々については加賀藩の七木の締まりや防風など、いくつかの歴史的背景や役割を説明できるが、それから150年以上たちとっくに役割を終えていたのだ。

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同じく。左の木は棕櫚。

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18日駐車場にレッカーが入り最初の作業が終わった。

この後、今珠洲で最も通行量の多い道路側の木々作業へと移るのだが、その道路を作るための発掘が始まったのが平成元年。

その2年後、わたしは住職となるのだけれど、後ろ側というか道路側は笹藪に覆われていた。数年かかって行った、いわば最初の作業が笹刈りだった。

それから30年。

すっきりした木々の中を歩いてみると、遮る木々がなう周りの家が目に入る。

人はほとんど住んでいないが、森のお寺から町のお寺になったなぁーとの印象である。

10月23日