上戸小学校同窓会に、飯田・直小卒業生が混ぜて貰っての同窓会―11月20日(水)
8月5日(月)38度を超えた日。羽咋のお寺で大谷婦人会の講師を務めさせていただいた。翌6日はあまりにも永く勤めている珠洲市仏教会長を代わっていただくべく、関係者の会議を予定していた。
羽咋往復でへばり、夜は資料作りを進めていた7時過ぎに中学校の同級生から電話が入った。
滋賀県I市の警察署長にかなり若い時になっていた同級生が帰ってきたので小学校の同級生たちが数名集まって懇親会をはじめた。顔を出さないかという。
はじめ、明日○時ごろなら都合がつくので、その時会おうと答えたのだが、
―小学校は隣の上戸小(2クラス)で、私は飯田小(2クラス)を出た。その2校と直小学校(1クラス)が一緒になった春日中学校(後、緑丘中学校となって春日中学校は廃校)の同級生の何人かが集まっているのだ。あの頃は、どういう事情か分からないが、卒業写真も名簿も一切無く、誰が同級生なのか記憶だけが頼り状態。滋賀県の友とは前から機会があれば会いたいと思っていたこともあって…
懇親会をはじめているという店に電話をかけ直し、出向いた。ヘッチにホウサク、カンマにマサ、と57年ぶりや53年ぶりが一気に吹っ飛び、中学校時代の呼び名が飛び出てきた。
その時、上戸小では時々同窓会をやっており、今年もと考えていることもあり、最後の同窓会的雰囲気にもなってきたので、上戸小の同窓会に、飯田や直(=かの)の一部も混ぜてやろう…。と、本気か酔った勢いなのか分からない盛り上がり状態で、別れた。
それが、そこにいた4人が中心になってお世話をし、この20日(水)に同窓会が開かれたのだ。
上戸小以外の人選基準は分からないが、上戸小+ミニ春日中同窓会のような感じで集まった。
中学校は4クラスだったのでクラスが一緒にならなかった友もいるのだが、男子は全員仲がよかったし、皆、分かった。
女子の4名は名の記憶もなく、その人たちとは、同じクラスにならなかったのだろう。
200余名いた中学校同級生のうち、少なくとも40名が先に旅立っている。
先ほど小雨降る中、幹事をしていた元職安所長が写真を一枚届けてくれた。
申し訳なくて、ただ、頭がさがる。
そして、写真を見ていると泣けてきそうなので、ここにアップして、次の予定にうつる。
応援歌 「友よ立て」
1、
松風高く吹き渡り
東雲(しののめ)染むる朝ぼらけ
空にきらめく残(のこ)んの星は
まことに生きる我らが理想
春日 春日 春日 友よ立て
2、
山にこだまを返しつつ
登れば越の峰近く
若葉に映えて光る萱(いらか)は
伝統(つたえ)ゆかしき我らが母校
春日 春日 春日 友よ立て
資料に添付されていた応援歌。
校歌は誰一人歌えない。こちらは、たいてい歌える。
よく見つけてきたものだ。
ついでに、
飯田小学校校歌は赤本(『真宗大谷派勤行集』)72ページ「衆会」の作曲者・平井康三郎氏の作曲。こちらの校歌はおぼえており、歌える。