『花すみれ』7―法話Ⅰ 妙好人を生きる―千代尼
今日(29日・土)、『花すみれ』7月号が届いた。
執筆の話があった時、昨年刊行させていただいた『妙好人千代尼』の関係の話だろうと思って、「妙好人を生きる―千代尼」のタイトルで書いた。
この5日に刈谷市でお話ししたのは、その本を読んだので・・・のご依頼だったから、てっきり『花すみれ』もその線での話だと思っていた。
担当の方とのやりとりでは、著書が執筆の直接理由というわけではなさそうだったが、ともかく素敵な本となって届いた。
表紙が、芬陀利華(妙好人)菩薩とでもお呼びしたくなる格調高い画(畠中光享氏)である。
私もささやかな文のまとめに「すみれが花咲き、香ってくるような法縁(ほうえん)の場(ば)がいたるところにあります。今(いま)、現在(げんざい)のご縁(えん)を大切(たいせつ)にし、いただいてまいりたいものです。」
と書いた。
『花すみれ』の中に、「うつむいた 所(ところ)が台(うてな)や すみれ草(ぐさ)」(千代尼)を取り上げ、「すみれが花咲き、香ってくるような・・・」と関連づけたのだが・・・、どうだろう、読む人は気づいて下さっているだろうか?
ふりがなを多くしているのは、ブラジルの門信徒さんにも読んでいただいているので・・・とのこと。
聞法一路はすべての人が正客なので、振り仮名は多ければ多いほどいいなぁ、と雨の音を聞きながら、いただいている。