祠堂経会、梅ぼり、安居―七月一日

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中庭に糸とんぼが飛んでいた。写っても写らなくてもエイ、とシャッターを切った。見事に写っていた。

 

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梅の実を取った後の梅の木・葉

 


七月に入った。

半期の大きな節目だから、鬼の牙・歯固め、修験系では茅の輪くぐりなどがあるはずだが、夏至知らずに時が流れたように、年中行事がないノッペリ国が、さらに進んでいる。

梅ぼり

梅雨の最中に、例年梅ぼり(「ぼる」はもぎ取るぐらいの意、方言)をする。

30日は大雨警報がまだ出ていたが、雨雲も通り過ぎたのであちこちに水たまりがある中、梅ぼりをした。

 

祠堂経案内、ポスター貼り

当寺の祠堂経は、7月4日(木)~8日(日)

 

寺檀制の原点、田休み期の重要行事である。

御布教は藤田秀明師。金沢から5日間お出で願う。

「他国坊主に国侍」を踏襲している(のだろうな)。

 1週間前に案内をあちこちに貼っていただく。

祠堂経・永代経

祠堂経は永代経とも言うが(その方が多いかも知れない)、

『考信録』(安永3年・1774、玄智著)に

今時永代経ト称シテ檀越ヨリ若干ノ銭財ヲ出スレハ、僧侶コレヲ常住ニ納メテ忌日コトニ読経スルコト差降種々ナレトモ大途ハ同シ。

是諸宗一統ノ事トミユ。

案スルニ永代ト云ヘハソノ際限アルヘカラス。

大院名刹ハ且ク論セス。

小寺艸菴ノ類ハ変事無時、永代ノ法固必スヘカラス。僅二五十年百年ヲ歴レハ其式廃退スルモノ触目ミナ是ナリ。

施主ノ素志何クンカアルヤ。

些少ノ施財ヲ利シテ永代ノ事ヲ保任スルコト軽卒ノ至
ト云ヘシ。

今家ニハ古ヘコノ事ナカリシニヤ。

旧記二永代経ノ名ヲ撿セス。

祠堂経ト称スルヲ正ト云ヘキカ

 紀州称永代経日定座定座名出統記卅四・三左

(『『真宗資料集成 第九巻 教団の制度化』、『日本民俗大辞典』上の項立ては永代経で、祠堂経無し)

とあるように、他宗の永代経を真宗では祠堂経を名告った経緯があるようだ。

妙好人千代尼』(法藏館刊)には

報恩講・祠(し)堂(どう)経(きよう)(永代経)

小見出し

  真宗の定期的な仏事・法座は、親鸞の命日に向けて営まれる「報恩講」と田休み期の「祠堂経(永代経)」が中心です。
 報恩講は、長いところでは本山のオシッチャさん(七昼夜)に合わせて七日間営まれてきました。そこでは、親鸞作の「正信偈」「和讃」、覚如(かくによ)作の「御伝鈔」「報恩講式」、存覚(ぞんかく)作「歎徳(たんどく)文(もん)」、蓮如作の「御文」が拝読されます。親鸞の命日が旧暦の十一月二十八日(新暦一月十六日)ですから、報恩講は、収穫後、あるいは田仕事の準備期の仏事になります。
 一方、田休み期にはどこのお寺でも「祠堂(しどう)経(きょう)(永代経)」を営んでいます。この仏事には「経」が付いてはいますが、経典名ではなく仏事名です。
 祠堂・永代経は大切な大きい行事なのに行事名が統一されていません。真宗故実書『考信録』(玄智、一七七四)には、このことについて、そう大きくはない寺が永代に続くというのは言い過ぎで、祠堂経がいいのではないかとしています。真宗の祠堂は本尊、祖師親鸞の在(まします)す堂、いわば、寺庵・道場ですので、それがいつまでも続き、子々孫々が教えを聞くことが出来るようにの願いが「永代経」なのでしょうから、仏事名はどちらでもいいのでしょう。
  ただ、この行事が始まったのが、千代尼が生まれた元禄ごろだったと見て、ほぼ間違いありません。仏事名の揺れも、真宗独自の仏事ではなく、通(つう)仏教、全宗派が関わる、いわゆる寺檀制度(一寺一家制)の確立と共に行われるようになった行事だからです。
  家族が同じ寺に参り、揃(そろ)って田仕事をし、家の墓に入る。それが家だとすると、このような家がほぼ出来あがったのが元禄ごろだったのです。千代が生まれたのは元禄十六年(一七〇三)ですから、寺檀制度確立期と重なります。
  それまではどうだったのでしょうか。家に嫁いだり、婿に入っても、実家の師匠寺の門徒から離れることはありませんでした。一家に複数の師匠寺があったのです。これを半檀家制または複檀家制といいます。
  半檀家だと、共同作業が多い農作業の効率が悪いため、幕府・藩が指導して一寺一家制を進めていきます。また、宗教面からは、幕末以前の最後の内戦・島原の乱(一六三七~三八)のようなことが起こらないよう、一神教を禁止します。
 祠堂経(永代経)は、長いところでは一ヶ月間、「浄土三部経」を順に勤めます。一ヶ月のお参りがあれば必ず親の命日があります。親があってこそ、受けがたき人身(にんじん)を受け、聞き難い仏法を聞くことができるのですから、その恩に報いるため、どんなことがあっても親の命日には寺参りをします。また、寺参りをすることで、神以外を認めない一神教徒ではないことを表明する役割も、祠堂経(永代経)にはあったのです。
 祠堂経や報恩講、彼岸などの仏事には必ず布教僧によって説教が語られます。そこでは、釈迦の悟(さと)り、親鸞の承元の法難、蓮如の旅などの三十五歳の節目の話が熱く語られていたのでしょう。(同書、P87~P90)

 と書いた。

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コンゴウ参り

今日は7月を盆月にしている地域の盆始めの日。

コンゴウ地帯ではコンゴウ参り(7日盆、30,1日が多い)がある。そのうちの一カ寺、

石動山麓、藤井徳蓮寺さんへお話しに行く予定。