真宗の習俗・民俗・文化―近世・近現代教化論(仮題)[概論 はじめに]
あるいは
教化と民衆―真宗習俗・民俗・文化論(仮題)
に向けて、ようやく再スタートが切れることになった。
『妙好人千代尼』の活字にしなかったあとがきに、次の様に書いた。
その後の執筆ー真宗関係※は現時点での追加説明
『蓮如と真宗行事』(※1990年木耳社刊、1998年副題に―能登の宗教民俗―を付して再刊)以降も、次の文を書きました。
『中島町史』、『根上町史』、
「現代に生きる蓮如」(早島鏡正編『蓮如のすべて』新人物往来社)、
蓮如道、
「蓮如習俗論」(『講座蓮如』第二巻、平凡社)、
「羽咋・鹿島の御崇敬」(『石川の祭り・行事』石川県教育委員会)、
『図説七尾市史』、
○前出『蓮如上人と伝承』(※1998年大谷派金沢別院刊、2001年2刷。現在絶版)、
「死・葬送・墓制資料集成東日本編2石川県」(国立歴史民俗博物館)、
書評『日本史の中の女性と仏教』(『宗教民俗研究』)、
「共同体とお年寄り」(『老熟の力』早稲田大学出版)、
「農民の暮らしと年中行事」(『石川歴史館』)、
「御消息とその時代ー近世を中心にー」(真宗大谷派能登教区『御消息調査報告』ⅩⅧ)、
「報恩講」(『精選日本民俗辞典』)、
「斎」(『日本民俗小辞典 死と葬送』)、
「節談説教」(『石川県の民俗芸能』石川県教育委員会)
『新修門前町史』、
書評「蓮如」、「済度される鬼神ー続き因縁話の世界ー」(『説話論集』第16集)、
「真宗門徒の日々ー民俗語彙は何を明らかにし得たか-」(『宗教民俗学研究』)」、
「江戸初期の在家仏」、
「親鸞聖人越後への道ー臼ヶ峰」、
「貴族らも和歌で追慕・親鸞聖人五百五十回忌」、
「一刎(ひとはね)蓮如道」。
他に、真宗寺院が七カ寺関わっている能登国三十三観音に関して、「能登国三十三観音巡礼」(真野俊和編集、講座『日本の巡礼』第三巻、雄山閣)、
「能登国三十三観音巡礼の道」(『信仰の道』石川県教育委員会)、
「能登国観音札所 紀行」(『能登仏像紀行』石川県立歴史博物館)、
『能登国三十三観音のたび』(北國新聞社)、
報恩講満座相撲を取り上げた「能登の暮らしに息づく相撲」(『北國文華』六七号)などを発表しました。
その中でも、
御消息論、
説教話成立、
民俗語彙と門徒の生活、あるいは高梨一美(※貼り付け・過去記事)さんとやりとりした「目連尊者」や、未翻刻の「歓喜嘆」などの真宗安心を歌った盆踊り歌などは、
一つにまとめなければならないと思っています。
と書いた。
そのあと、大きく
A全般・概論・目的
B藩政期の教化・周辺
C門信徒の生活―講・斎・巡拝―
D論・問題・今現在説法
に分け、執筆したもの、作業中のものなどを細かく取り上げていったら、A5、21頁分の細目・資料になった。
昨年まで知らなかったのだが、宗門に学階というものがあって、大学を卒業していれば、次の「擬講」というのを目指せるのだそうだ。目指してみないかとある方から声を掛けていただいたので
本になっているものは省くそうなので、まとめるとしたら何があるだろうかということも兼ねて、調べていったのだ。
その〆切が2月いっぱい。当寺では春勧化があるので2月23日までに京都へ直接持って行かなければならず、誰かが審査するのだろうけど、知り合いもおらず審査基準の見当もつかない。
擬講論文を見ることが出来ればレベルもわかるが、どうしたら知ることができるのか分からないし、この年令で落ちたら立ち直れないぞと思ってみたり、何よりも季候のいい時でさえ京都に行けないのに、冬に珠洲から京都へ行くことは無理なのだ。
に気づいたので、今年度は取りやめた。
一方その頃、すなわち一月下旬にブログの引き継ぎ、FB対応はじめ、公民館講演(1月23日)、北西先生の御逝去、能登立国1300年関係講演(2月6日、県選管委員対象)、どうなる「奥能登塾」?、「能登」〆切など、教化論に向き合えない状況が続いた。
かなり整理し終えたので、21ページ分の項目見直し、巡拝のよう~作業中のものをカットするなど、を始める。
目安は
A5版、11ポイント、1頁16行×44字
対象地域は能登が中心なので300部刷って、100部程度は知り合いの書店4個所に置いてもらい、
200の大部分は勉強しそうな人、図書館などに分ける。
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