深見―門前町
5月7日深見~桜滝へ行ってきた。
6月9日(日)~11日(火)この地の養福寺さんで祠堂経の御法話をお取り持ちさせていただく予定。
御住職家の姓が高滝さんで、かつてなぜ高滝姓なのか訪ねたことがあったが、雄滝・女滝の桜滝があり、猿山の険阻が続く。
能登(梁塵秘抄は「珠洲」)の岬をかいめぐりーの海の修験の地だ。
じ質の空間がここにある・・・。
塚 十三塚が深見地区にある。塚のそばに、南西に向いて、高さ七〇㌢、幅二〇㌢、厚さ一四㌢の南無妙法蓮華経と刻んだ石碑が建っている。この塚のいわれは実に不思議なもので、深見のとある家にわがままいっぱいに育った一人娘がおり、いつも門口の耳石に小便をしていた。ある時いつものように小便をしていると牛が現れ、娘を追いかけた。何とか逃げようとした娘だったが一三塚のところで追いつかれ、一三にバラバラにされてしまったという。それを埋めたのが一三塚だという。あるいは一三の時、いつも小便をかけていた石が牛になってあらわれたとも、小便をしていた向かい側に牛小屋があり、つながれていた一頭の牛に、親が用をさせているとき一三になったら嫁にやるぞ、といっていたのが、一三になって嫁にもらうと言って、逃げる娘を追いかけたともいう。この時娘は蛇になって逃げた、とも、娘を一三にバラバラにした牛はそこで松の木になったとも言われている。この娘は直江三家の一つ、直江五郎助の娘だったといい、一村こぞって新潟巻町へ移住していた村人を、慶長二年(一五九七)に呼び戻し、村を再興した直江一族の一人である。巻町では、能登から流れてきた観音を祀っているともいい、壮大な背景のある話かも知れない。また、この塚には、一三人の亡骸を埋めた、という伝承もある。
「第四章 人生の儀礼について」『新修門前町史 資料編6 民俗』西山 2005(平成17)年11月刊
牛(御師)にひかれて善光寺参り、と同様牛を「御師」に置き換えてみれば、集落挙げて角海浜へ移ったことも含め、いくつかの説話物語が浮かんできそうだ・・・。