「目連尊者」ー高梨一美さんー
日中は蝉がジャンジャン鳴き、夜は秋の虫がうるさいほどに音を競い合っている。
前日の『東アジアの祭祀伝承と女性救済』について、思い出したことを書く。
確か高梨さんが金沢に帰っておいでたとき、実家近くの喫茶店で会った。
その時、目連尊者について、それぞれが調べたことをHPで書いていく方法で論議を進めていること聞いた。
家でHPを開いてみたときだったか、あるいは時々書き込みを眺めていたのかも知れない。が、輪島でヤレヤレから始まる古い踊りがあって、目連尊者もあったからそれではないか、と年配者から聞いたとの書き込みがあった。
それについて、記憶違いというか別の曲目であり、目連尊者が実際に踊られていた(いる)ことを高梨さんに手紙で知らせた。それを「HPに書き込んでいいか」「どうぞ」で彼女が書きこんだはずだった。
そして、ご主人から一美さん名のメールが入った。妻が体調を崩しているので代わりに書きます。前の文を本に用いたいのだが…、どうぞ、のやりとりだった。
メールを書けないくらいに体調を崩しておられる……、気になった。
そして、2005年9月19日夜9時半、ご主人から「一美が亡くなりました…」の電話が入ったのだった。
高梨さんについては2006年3月19日にその思いで、20日に『沖縄の女性祭司の世界』を紹介し、
同じ年の6月11日に実家にお参りに行ってきた(実際は父上と話してきただけだったのだが)ことについて14日のブログで触れた。
しかし、目連尊者のやりとりは、記憶から消えていたのである。
何度もパソコンを駄目にしているので、古いメールは残っていない。
それが思わぬ形で姿をあらわした…。書いた手紙が、巡り巡って世の中に出てきた。そんな気分だ。
高梨さんは、今年53か54歳のはず。 もったいない。