能登立国(養老二年)、祖師は紙衣の90年(36年号、改元35回)、蓮師の85年(16年号、改元15回)

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古和秀水(こはしゅうど=子は秀水、輪島市門前町広岡)

 



毎月30日の夜にお参りするお宅がある。お嬢さんがこのあたりでは名の知れたお菓子屋さんに勤めておいでる。

いつも、お土産に季節折々の御菓子をいただく。

ウグイス餅、桜餅・・・自然の中を逍遥しているような気持ちになる。

昨日は家に帰って菓子箱を開くと、

「令和」クーヘンが出てきた。

能登の先端でも同時代を動いている・・・と感心した。

盆正月

世間は10連休だが、この期間を上手く表現する言葉はないようだ。

こんな時、加賀(金沢)藩では「盆正月」といった。

藩主の関係のいわゆる慶賀の折・・・盆と正月が一度に来たように祝ってくれというので、その時を「盆正月」と言った。

盆+正月が示しているように、休み日のことを「~盆」と言っていた。

田植あとの雨が欲しい時に雨がふると、ムラ長が一斉に「あめふり盆」の休みを入れる。担当(番当)が、「明日は雨降りボンヤゾー」とムラを触れ回るのである。疲れがたまった頃にも降ろうが降らなくても「盆」があった。口能登の中島あたりでは「燓噲講」と言っていた。至るところに教養人がいたのである。

 

「盆正月」では表現しきれないというのであれば「盆正月盆」。どこまでも広がるが、

やはりボンショウガツ―いろんな想い出のある盆・正月ー私たち前の世代まで使っていた・・・ほのぼのとした、いい言葉だった。

養老2年(718)

能登立国1300年、大伴家持生誕1300年などで、昨年は飛び交っていた元号である(家持の方は知っている人は少なかった)。

養老はいうまでも無くー親は酒、子は清水ー綺麗な滝水がお酒になったと美濃国から報告があって年号名にした。

いわば、滅多にない目出度さからの命名

付け加えれば「子は清水」は「古和秀水」「強清水」などの字を当て、同じ伝説が背景にある。

祖師は紙衣の90年

親鸞聖人は1173(承安3)年にお生まれ1262(弘長2)年に還浄なさった。

この間の年号36。改元35回。源平の合戦、方丈記に記されている飢え飢饉天災の時代である。

蓮師の85歳

蓮如上人は1415(応永22)年にお生まれ、1499(明応8)年に還帰なされた。

年号16.改元15回。戦国期・一向一揆時代である。

その時代のつらさは『壁山日録』などに。

そのうち応永は平成を越える35年、文明は19年という長い年号があったにも関わらず、16回も変わっている。戦国期でアナーキー状態。変えたくても幕府に能力が失われていて変えることが出来なかったのである。

養老期と違って、世は末法

世直しを計るために年号が変わった。その考えは明治まで続いた。