蓮如上人御影、吉崎へご到着。

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24日北國新聞朝刊

17日に京都出発6泊7日かけて約240キロ踏破。

10日間本堂に安置され、蓮如上人御忌法要が営まれ、5月2日上洛が始まる。

下向では、立ち寄り先で法話などを行う「教導」を能美市の誓立寺住職林拡さん、とあって、上洛は5月2日に始まる。教導を南砺市の大福寺住職太田浩史さんが務める。とある。

 

私が1986年(昭和61年)5月3日から5日にかけて、共に歩いた時、まず豆の対策を、毎年歩いているおばさんが教えて下さった。まめができたら針で糸を通し、絶えず豆の水が外に出て行くようにする、というものだった。

その頃は野球部の顧問か何かをしており、高校の時は陸上部で長距離をやっていた。まめができるわけがないと思っていたのに朝早くから、蓮如上人宿で休み休みではあったが、一日中歩いていると、二日目には豆だらけになった。習った通りにやって。これはいい手だと感心したが、豆は増え続け、3日目は限界に達していた。細い体なのに肉厚で豆ができやすい体質のようだ、それはさておいて、

何年か前にも太田さんが下向の法話を務めるという予定表が発表されたことがあり、歩けるの?と電話したことがある。

その時は、記載ミスで最後の別院法話者が下向法話者になっていたのだった。

 

今度の記事も紛らわしい。ヨーク読むと10日間の別院での教導は太田氏で、そうすれば御下向の教導はどなたなのだろう?

 

何とかお参りに行きたい。

当寺の蓮如忌を終え、行くとすれば、この日から・・・は考えられるのだが、連休時期には思わぬ人が訪ねてこられることがある。

珠洲じゃ遠すぎるが、遠(とお)吉崎をこの地ということにして、連休時期は、淡々と過ごそう。

 

2011年4月6日、余呉湖畔に泊まった時の記事より

1986年(昭和61年)5月3日~5日、蓮如上人御影の上洛について歩いた。
25年前、その頃はまだ「御影道中」と言っていなかったように記憶している。
その時歩いた栃ノ木峠道を、余裕があったら通りたいと思っていたのだが、余呉で確かめると、まだスキーが出来る状態で、今庄へ抜けるのは無理とのことだった。

せめて、その時の写真。
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5月4日、武生円宮寺さん、ご出発。
出発の輿を見送る人々。
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同日お昼頃。南条井上家。
輿の下をくぐり抜ける人々がおいでた。
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5日今庄浄念寺さんでは、朝4時0分にお朝事勤行が勤まり、5時50分出発。
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JR北陸トンネルの上、栃ノ木峠の難所を上り終え、しばし休憩。
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5日の宿、木之本明楽寺さんに到着。
この後、木ノ本駅まで歩いていき、鯖江まで電車。そこから車で帰ったはずだが…(この年のノートを失っており、はず…としか書きようがない)。

本年度
なお、本年度は親鸞聖人750回御遠忌法要との関係で、
本年度のみ、
4月29日~5月5日御下向道中
5月5日、19時30分頃吉崎東別院ご到着
5月5日~10日 蓮如上人御忌法要
5月10日17日 御上洛道中
の予定になっている