福井・吉崎 嫁おどし肉附き面―藤島秀隆氏―蓮如忌参考資料

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嫁おどしの段。教行社版蓮如上人絵伝。二幅目。


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ファイルを広げたら古い新聞記事が出てきた。裏はスポーツ面でダイエー単独首位などの記事が並んでいる、それらから日を特定した。藤島さんとは彼が加能民俗の会会長の時、私は副会長を務め、共に辞した。懐かしいし、また説話が専門なので詳しく取材し内容も要を得た素晴らしいものだ。こういう記事こそ残しておかなければならない。敢えてここに取り上げた。


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藤島秀隆 北陸伝説の旅 福井・吉崎伝説の旅 北國新聞


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蓮如上人と伝承』(西山著、1998年12月25日、金沢別院刊、2001年4月1日2刷。


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蓮如上人と伝承』に利用した刷り一紙


北陸 伝説の旅
福井・吉崎 嫁おどし肉附き面
藤島秀隆

嫁と姑の葛藤に蓮如上人の霊験
        北國文化   平成6年(1996年)6月12日「北國新聞

[本文]

 蓮如上人が比叡山衆徒の弾圧にもめげず近江から北陸地方へと遊化して、新たに布教活動の拠点と定めた越前国坂井郡吉崎の地に吉崎御坊を建立したのは、文明三年(一四七一)七月であり、四年後の文明七年(一四七五)八月には吉崎を退去している。布教活動の結果、越前・加賀一帯に浄土真宗が広まった。吉崎の嫁おどし、別名肉附き面ともいわれる伝説は本願寺信仰の中ではぐくまれた蓮如上人の功徳を語る説教話として伝承されている。
 福井県金津町吉崎の浄土真宗大谷派願慶寺蔵の「嫁威肉附面略縁記」はこの嫁おどし肉附き面の伝説を一冊にした整版とその刷本であるが、あら筋は次の通りである。

食まば食め

 文明年中、蓮如上人が吉崎山に在住のみぎり、十楽(じゆうらく)村に与三次(よそじ)という農民が住んでいた。先祖は日山(ひやま)城主の日山治部右衛門の家臣吉田源之進であり、落城後、十楽村にとどまり農民となった。与一次の妻は清といい、男の子が二人いたが、与三次と二子は相次いで病死してしまった。その後、妻の清は無常を感じ蓮如上人の勧化(かんげ)を受けた。邪見な心の姑は嫁の吉崎参りをやめさせようと、祖先伝来の鬼の面をかぶり、白いかたびらを着て往来のものすごい小谷(おだに)で特ち伏せ脅かした。嫁は「食まば食め喰わば喰え金剛の他力の信はよもや食むまじ」と口ずさみ、念仏を唱え吉崎へ向かった。失敗した姑は帰宅後、面を取ろうとしたが、面は顔にひっつき痛くて取れない。自害しようとしても手足がしびれて動けない。帰宅した嫁に告白し、嫁に勧められて「南無阿弥陀仏」と唱えると、面は落ち、手足も自由になった.、姑はざんげし、嫁とともに蓮如上人の勧化聴聞して、無二の信者となった。その後、肉附き面は願慶寺の開基祐念坊に授けられ、以来当寺に所蔵されている。また小谷は「嫁おどしの谷」と名付けられた。

 

 さて、本話の特徴を列挙すると第一に出来事の時期を蓮如上人が吉崎滞在中のこととし、真実性を強調している。

第二に先祖の紹介に次いで夫と、子の病没が語られ、話の核はは信心深い嫁と信心嫌いの姑の対立や葛藤に重点が置かれている。第三に鬼の面は祖先伝来と記し武士の子孫らしさを出している、第四に嫁の清は信仰によって意志が強く、鬼女姿の姑に出会っても恐れていない。それは唱え言葉「食まば食め・・・」の実践にある。私の手もとには、石川県内で採集された「肉附き面」の類話が二十話あるが、いずれにも必ず唱え言葉が語られている。そしてこの唱え言葉の文献上の初見が右に掲げた願慶寺の「縁記」である。

第五に願慶寺では今日に至るまで代々の住職によって「肉附き面」の説教と寺宝の肉附き面の展示が行われており、その結果、真宗の伝播とともに本話は広まったといえよう。したがって本話の筋書きが現代の口承文芸に多大な影響を与えている。

全国21県に流布

 願慶寺発行の縁起によれば、慶長十六年(一六一一)に開版されて以来、この伝説の改版・改刻は、昭和五十九年までに四千版に達している。この版本や住職の語った内容は吉崎蓮如忌及び願慶寺に参詣した人びとによって全国各地に運ばれ語られてきたのである。そしてこの伝承は実に青森から鹿児島まで二十一県に流布している。中でも約三百年の歴史を持つ岐阜県真正町の真桑文楽は毎年三月に「嫁おどしの段」を上演しており、この伝説を今に伝える貴重な芸能である。
            (ふじしま・ひでたか 金沢工大教授)