四万六千日

16日の朝は、野々江町地区のお墓参り。
先日北國新聞の「地鳴り」に四万六千日を執筆なさった宗田さんにお会いした。

四万六千日というのは、観音信仰の欲日とか功徳日と呼ばれる日で、旧暦の七月十日に参詣すると四万六千日分の功徳があるとされる日のことである。
著名なのは浅草観音の四万六千日。
金沢観音院も知られており、宗田さんはその日にお参りしたことを書いておられた。

著名な行事で、旧暦を用いていたのは、四万六千日以外に石崎奉灯祭の旧暦六月十五日がある。
十五日の満月の十五日は、魚が明かりをおそれて海底近くにいるため、沿岸漁村地帯の石崎では仕事にならず、御座や祭りで時を過ごすのが慣例だった。
その中心に位置づけされていたのが旧暦六月の奉灯祭だったため、長い間踏襲されていたのである。

それで、私は、能登の石崎、金沢の四万六千日を県の二大陰暦行事と見なしていたのだが、今は四万六千日しか無い。

ところで。この功徳日は七月十日が有名だけど、各月に功徳日があるのである。
それが、能登国三十三観音巡礼札所・諸橋三十三観音巡礼札所・真言二十一ヵ所巡礼札所などの第壱番諸橋明泉寺観音堂
に掲げられている。
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文政二年(1819)五月奉納

今年は、奇しくも奉納二百年の節目にあたる。

参照『能登国三十三観音のたび』