「弦哲也の人生夢もあり歌もあり」ーゲスト大月みやこさん

15日(日)、先日撮影された、タイトルの番組が放映された。
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弦さん、大月さんコンビは、のと里山海道を通って、車で能登珠洲へ向かう。

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昭和48年の「奥能登ブルース」発表会には、能登線で来たこと、飯田先生の前で緊張しっぱなしだったこと、三橋美智也、春日八郎さんの前座時代が長かったこと、弦さんは、三橋さんなんかは大月さんでないとダメなんだとおっしゃていたという話を聞いていて、若い時から大月さんを高く評価しておいでた話などが続く…。
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能登ブルースレコードジャケット。
初めて見た。さすがキングレコード

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西勝寺ーお二人がお出でになるらしいとのうわさを聞きつけて集まってこられたファンの方々。
本当に、口コミと遠方の講義などでお二人がおいでになることを話しただけでこの日を迎えた。
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西勝寺には、飯田三郎さん(作曲家:啼くな小鳩よ、ここに幸ありなどがあり、大月さんの奥能登ブルースを作曲なさった)の色紙があり、私は、この時飯田さんが西勝寺本堂で講演をし、その縁で色紙を書いて行かれた、と推定した。
予定では、訪ねて来られたお二人を境内でお迎えし、色紙を見せ、木の浦へ向かい、その後、飯田さんの思い出の地(雨の心配もあり、西勝寺本堂)で、奥能登ブルースを披露なさる、ということになっていたのだが、日程が迫っており、
まず、その思いでの場所を訪ね、当時の思い出を語ることに…
思いで話を語り合うお二人に、私が当時のことや、いきさつに合いの手を入れることになったのである。

あとで知ったのだが、大月さんは森下旅館に泊まられ、春日中学校体育館(現飯田小学校)で歌っておいでる。現在のワクワク広場が旅館跡地で、お寺から200メートル程の地、中学校も背後にあり、この付近に2、3日過ごされている。

右胸がふくらんでいるのは集音器が入っているため。
ボタンを外せば、すっきりするのだが、鏡を見ないでネクタイを締めたため、ボタンを外すと、下の方が長いネクタイ姿が現れると困る、悩みに悩んでボタンを付けたままにした。分からないままに、スタイリストが必要な世界があることはそれとなく理解できた…とどうでもいい話。

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当時学生で、珠洲にいなかった私は、
現在、僧侶の傍ら、地域史などをやっているので、
このような紹介も挟んで下さった。
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飯田三郎さんの楽譜(「奥能登ブルース」)入り色紙を、手に取ってみておいでる。
1968年3月とある。

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これは、大月さんの当時の手帳。
昭和43年3月30日から4月1日にかけて、奥能登ブルース発表会で珠洲に来ておいでたことがわかる。
そうこうしていうちに、昭和48年に作った、作詞者:高橋掬太郎さんの自筆になる「奥能登ブルース」碑が
実際にあるのか、それはどこにあるのかという話になり、
案内することに…、
車社会になってから、自然のままの入口が気づかれないまま、
碑のありかを知っている人は、折戸町木の浦、高屋町の方々をのぞけばほとんどいないようだ。
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思い出、数えで50年前の出来事、高橋掬太郎さんの字、左碑文の高屋町、48年3月ー除幕式は3月だった…
そのようなことが次々、浮かんでこられたようで、
本当にその場所へ、来たのだとの喜び、何度も何度も、ご縁ですね、とおっしゃった思いが、案内している私にも伝わってきた。
碑文を読んでいる時、バックに奥能登ブルースが流れる。
色紙の時もそうだったが、名場面だと思う。
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高橋掬太郎氏直筆碑

誰に焦がれて 木の浦つばき
赤く咲くやら 燃えるやら
逢うて 別れて
思いでだけに
生きる女の身がつらい
あの夜の歌 あの夜の歌
能登ブルース

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テレビ画面では拓本を取ったように
高橋氏の字が、読み取れる。
私が署名の掬太郎の郎は縦棒一本で、この字が高橋さんだと知っていないと当時は知られていたのでしょうが、誰の何の碑か、分からないような碑に…
そうです、そうでしたした、高橋先生の郎は傍線のような書き方をされました…
といったことをお話ししていた場面

大月さんが昭和21年生まれ、西山昭和22年の早生まれ、弦さん昭和22年生まれ。
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この後、ふたたびお寺に向かい、せっかく思い出の地を訪ねたのだから、と、弦さん伴奏、
大月さんがほぼ50年ぶりに「奥能登ブルース」を歌われる。
その時、思わぬ感動のできことが、
記念碑を刻んだ方の思いで、も合わせ、
次回、11月5日を楽しみに。