三帰依文ーさんきえもんー、御文「末代無智の…」(第五帖第一通)、「吉良日を視ることをえざれ」(第一帖第九通)

18日、当寺を会所に勉強会があった。
真宗宗歌、三帰依文から講義が始まった。
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真宗宗歌

真宗宗歌は一番のみ。
私もかつては、一番でいいでしょうと推進員定期研修などで、言っていたのだが、
3番の歌詞「海の内外(うちと)のへだてなく」の歌詞の重みに気づかされてから、といっても今年からなのだが
3番まで歌うようにしている。
内と外を分けるところに、いじめ、争い、お仲間、宗教対立といった現今の諸問題の悲しみが生まれる。

仏教、慈悲に生かさせていただくことにおいて、「へだてなく」を意識しながら歩ませていただきますの、宣言でこの歌詞を口にすることの意味は大きい。
そして

三帰依文」。

これも、今まで、唱えないと講義が始まらない、くらいの気持ちがあって用いていたが、近年使っていない。

勉強会その他でいつも用いる『大谷派勤行集』(赤本)の表紙裏に載っており、タイトルはない。

人身(にんじん)受けがたし、いますでに受く。仏法聞き難し、いますでに聞く。
この身今生(こんじょう)において度せずんば、さらにいずれの生(しょう)においてかこの身を度せん。大衆(だいしゅう)もろともに至心に三宝に帰依(きえ)し奉るべし。

 自ら仏に帰依したてまつる、まさに願わくは衆生とともに、
 大道(だいどう)を体解(たいげ)して、無上意を発(おこ)さん。
 自ら法に帰依したてまつる。まさに願わくは衆生とともに深く経蔵に入りて、智慧海のごとくならん。
 自ら僧に帰依したてまつる。まさに願わくは衆生とともに、大衆(だいしゅう)を統理して、一切無碍ならん。

無上甚深微妙(みみょう)の法は、百干万劫(ごう)にも遭(あい)遇(あ)うこと難(かた)し。
我いま見聞(けんもん)し受持することを得たり。願わくは如来の真実義を解(げ)したてまつらん。

三帰依(パーリー文)

Buddham(mの上に・)  saranam(mの上に・)  gaccha(aの上に-)mi
ぶっだん さらなん        がっちゃーみー
Dhammam(・)  saranam(・) gaccha(-)mi
だんなん     さらなん   がっちゃーみ
Sam(・)gham(・)  saranam(・) gaccha(-)mi
さんがん      さらなん   がっちゃーみ

以下楽譜 『真宗大谷派勤行集』P74
※「がっちゃーみー」の音程は、それぞれファ・ソ・ファー、ファ・ソ・ラー、ファ・ミ・ファーなのに、教区同朋大会で、尊敬していた藤島所長が、(どうも突然)パーリー語三帰依文の調声をとることになり、全てファ・ソ・ファーとやった。
当時、私は議長だったろうか近くにいて、おかしくて、「みんな一緒!」とからかった記憶がある。その割りに会場に動揺がなく、そのような歌い方をすることをほとんどが知らず、所長が堂々と調声をとった仏法僧を棒読みにするのが正しい、あるいはそんなもんだと思っていたのかも知れない。
このところ、パーリー語三帰依文を、聞く機会はない。

※かつて、ジャパン・テントという企画で、何年間か外国人留学生のホームスティーの宿を提供したことがある。夏休み中の数日で、子どもがいる家庭では国際的な雰囲気を味わわせたいと引き受けることが多く、私のところもそのような理由もあってお引き受けした。
一度、タイ出身の学生が来たことがあり、何事をするにもまず合掌してからはじめる姿に感動したが、その時、パーリー語三帰依文を言ったら、ほぼ唱和出来た。
国籍を超えた宗教が持つ広さと深さを、その時わずかだが感じた。

自ら仏に帰依したてまつる 自ら仏に帰依したてまつる
自ら法に帰依したてまつる 自ら法に帰依したてまつる
自ら僧に帰依したてまつる 自ら僧に帰依したてまつる

楽譜有 P88

いわゆる赤本に、三箇所「三帰依文」が載っている。
表紙裏以外は音符がついていて、三帰依文は詠われるものとしてがあることがわかる。
当派で、仏礼拝の最も重い形の登高座儀式でも、三帰依文に節をつけて唱え、仏を讃嘆するのである。
五体投地に次ぐ礼拝の姿と言ってもいいかも知れない。この場合も音楽性を伴っている。
いわば、儀式的・儀礼としての「三帰依文」に、講師が発声して、聴衆が唱和する現行三帰依文は、音楽性がない分、文字・理論として、直に読むものに迫ってくる。
その内容が、通仏教、世界仏教に通ずる内容、すなわち修行・戒律を基本とする自力仏教のものなのだ。
例えば、聞きがたい仏法を、今すでに聞く。帰依申しあげる。体解して無上意を発さん。経蔵に入り、海のごとき智慧を身に受ける。大衆を統理。受持し真実義を解す等々…。

叡山に入り、それこそ、最近、考えている木食行を行わなければならないような宣言なのである。

インドで高等に理論化した仏教が、中国で浄土・禅仏教が主流となることによって民衆との接点を持ち、
日本に至って究極の全生命が救われる、浄土真宗の教えに法然親鸞によってたどり着いた(鈴木大拙『浄土系思想論』)ことに触れない限り、一斉に唱える三帰依文は浮いたものになってしまう。
三帰依唱和は、真宗聞法の場にどういう意味があるのだ?にしかならない。

法座では、儀礼挨拶代わりに用いられているのだから、三帰依文の「人身受けがたし、今すでに受く」だけを、私達は意識して、これからの話しを聞いて下さい、ぐらいの註をつけなければならないだろう。

昨年暮れ、某寺の通夜で、説教なさった住職が、先ほどここに並んでお勤めしていた方々が、三帰依文の「僧に帰依し奉る」の僧です(すなわち、今話している私も帰依すべき僧です)と、口が滑ったのだろう、そうのたまった。

末代無智の在家止住の(衣をつけている)輩(ともがら)、と蓮如上人がおっしゃっているのにも関わらず…だ。

人身(にんじん)  

「人身受けがたし」の人身は、「末代無智の在家止住の男女たらん輩」で、その人身とは「こころ」を持っていて、そのこころは、いつも揺れ動き、バラバラで、阿弥陀さまからいただかないと一心に念仏も称えられない、三帰依の凜々しさとはうらはらの「こころ」の持ち主なのですよ、と、赤本P60「御文」初めに、そう示しておられる。

自力と他力が並列して載っている勤行集を、どのように扱っていくべきか、このところ考えていたのだが、蓮如上人には、すべてがある。
「仏法僧に帰依する」ことの意味を問う御文があった。
今までも、何度となくあげてきた御文だけれど、数日前にお朝事であげていて関係を記しておられることに気づいた。

「御文」第一帖9通目 優婆夷、物忌の御文

そもそも、当宗を、昔よりひとこぞりておかしくきたなき宗ともうすなり。これまことに道理のさすところなり。そのゆえは、当流人数のなかにおいて、あるいは他門他宗に対してはばかりなく、わが家の義をもうしあらわせるいわれなり。これおおきなるあやまりなり。それ、当流のおきてをまもるというは、わが流につたうるところの義をしかと内心にたくわえて、外相にそのいろをあらわさぬを、よくものにこころえたるひととはいうなり。しかるに、当世は、わが宗のことを、他門他宗にむかいて、その斟酌もなく聊爾に沙汰するによりて、当流をひとのあさまにおもうなり。かようにこころえのわろきひとのあるによりて、当流をきたなくいまわしき宗とひとおもえり。さらにもってこれは他人わろきにはあらず。自疏のひとわろきによるなりとこころうべし。
つぎに、物忌ということは、わが流には仏法についてものいまわぬといえることなり。他宗にも公方にも対しては、などか物をいまざらんや。他宗他門にむかいては、もとよりいむべきこと勿論なり。また、よそのひとの物いむといいてそしることあるべからず。しかりといえども、仏法を修行せんひとは、念仏者にかぎらず、物さのみいむべからずと、あきらかに諸教の文にもあまたみえたり。まず『涅槃経』にのたまわく、「如来法中 無有選択 吉日良辰」といえり。この文のこころは、如来の法のなかに吉日良辰を選ぶことなしとなり。また『般舟経』にのたまわく、「優婆夷、聞二是三昧欲学者、乃至 自帰命仏帰命法帰命比丘僧不得事余道、不得拝於天、不得鬼神、不得祠鬼神、不得視吉良日、已上(優婆夷、この三昧を聞きて学ばんと欲せんものは、みずから仏に帰命し法に帰命し比丘僧に帰命し余道につかうることをえざれ、天を拝することをえざれ、鬼神を視することをえざれ、吉良日を視ることをえざれ、已上)」といえり。
この文のこころは、優軽夷この三昧をききてまなばんと欲せんものば、みずから仏に帰命し、法に帰命せよ、比丘僧に帰命せよ、余道につかうることをえざれ、天を拝することをえざれ、鬼神をまつることをえざれ、吉良日をみることをえざれといえり。かくのごとくの経文どもこれありといえども、この分をいだすなり。ことに念仏行者はかれらにつかうべからざるようにみえたり。よくよくこころうべし、あなかしこ、あなかしこ。
  文明五年九月 日

※文明5年=1473年

三帰依文は、余道に事えず、天を拝せず、鬼神を祀らず、吉良日を視ない宣言であった。
そして、ただ念仏である。