三国山ー加越能境ー

十四日(土)
加越能三カ国の入会地・三国山を目指した。
この日、月に一度訪れている羽咋へ行くついでに、七尾・中能登町の三猿・庚申塔(三猿)、心の隅で気になっている中島の地蔵菩薩石像、次の季刊誌「能登」の連載で取り上げる予定の「三国山」から、いくつかを見てこようと思った。
出発しようとしていた矢先、三国山麓のお寺さんから、珠洲へ窺って三国山、津幡の蓮如上人などの話しを聞きたいとの電話が入った。
今日、午後からでも三国山へ行くつもりである旨をお話しし、
午後、お寺から山頂まで案内していただいた。
1人だと道が分からず、三国山にたどり着けなかっただろう。
それに熊・猪の心配があって、その意味でも1人では無理だった。

瓜生近くから、御山神社、そして山頂へ。
山頂には、子どもの頃お骨が散乱していたとおっしゃっるので、あるいは、弥勒下生を待つ蔵骨器が埋められていたかも知れず、
近世後期の旅の記録に全て塚状と記しているように、塚・古墳である可能性もある形状のところだった。

以前、一度訪れているが、全く印象が違っている。
どうも碁石が峰山頂の記憶と交じったようだ

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御山神社後ろからの道
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瓜生、小矢部方面
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山頂
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地産地消誌(季刊)『能登

の連載「伝説の風景」は、次の号で27回目を数える。
一度、能登の国と加賀境は大海川(上流・木ノ窪川、瓜生川)で、大海川源流近くの三国山は、どうしても扱っておきたかった。
それで、訪ねたのだが、誰でもいつでも行くことが出来る伝説の地という観点からは、どうだろう。
この「三国山」は、標高わずか323.6メートル。ぶな林を渡る風が爽やかで清々しい。
今度は、興津峠あたりから目指してみよう。

ともあれ、「三国山」という加賀・能登越中国にまたがる山名、山があることを、ほとんどの人が知らない。
323メートルでは主張しにくく、その周りで育った人々も、多くは高齢になり、話題になることもあまりないのだろう。

忘れられないためにも、あるぞ!…でいいのかな。