『蓮如上人御一代聞書』『蓮如上人御一代記聞書』
『蓮如上人御一代聞書』
真宗関係のメールに、推薦書が載っていた。岩波文庫の『蓮如上人御一代聞書』である。
てっきり、新本が出たのだと思って調べるが、前に出た本のことだった。
座右の書として、いわゆる赤本と御一代記聞書があれば落ちつくような気がして、古本を注文した。
『蓮如上人御一代聞書』。
稲葉昌丸(敬称省略)校訂である。
一ページ目に、おなじみの
「勧修寺の道徳、明応二年正月一日に…道徳はいくつになるぞ、道徳、念仏もうさるべし。」
ではなく、
「延徳元年、八月廿八日、南殿へ…」から始まっている。
索引が充実しているので、調べ、『真宗聖典』のどの条にあたるのかを対応させて持ち歩こうと調べるのだが、「道徳いくつになるぞ…」がない。
では、延徳元年は?
略年譜を見ると、
2149年75歳と出ている。
1942年発行で、当寺の年号は「皇紀」だった歴史を物語ってはいるけれど、1260年引かないといわゆる西暦にはならない。
かなり面倒だ。
この系統の本には、
『蓮如上人・空前聞書』
大谷暢順訳註、講談社学術文庫がある。
道徳いくつになるぞ、系は『蓮如上人御一代記聞書』で、「記」があるかないかの違いだが、
参考書は圧倒的に『蓮如上人御一代記聞書』用である。
『蓮如上人御一代記聞書』
こちらの文庫本は『蓮如上人御一代記聞書―附現代語訳』 (1959年) (角川文庫)1959
梅原 真隆、があるが持っていない。
購入するにしても、58年前の本、しかも文庫となると紙質の問題があって読めないのではないか。
参考書として、
『蓮如上人御一代記聞書讃話』第一巻、第二巻
柳田智照著、百華苑、昭和59年刊
『蓮如上人御一代記聞書に学ぶー耳なれ雀の仏教ー』
高松信英著、大法輪閣、平成7年刊
『蓮如上人 御一代記聞書講話』
蜂屋賢喜代著、法藏館、昭和11年、平成元年刊
※あらためて気づいた。姓を蜂須賀だとばかり思っていた。
なんとお読みするのだろう。本文の漢字には全て振り仮名が振ってあるのに、お名前には振り仮名がない。
調べる。大変な念仏者で、はちや・よしきよ、さん。
『蓮如上人御一代記聞書讃仰』
細川巖著、東本願寺、平成元年刊
『現代語訳 蓮如上人御一代記聞書』
瓜生津隆真著、大倉出版、1998年刊
『現代の聖典 蓮如上人御一代記聞書』
細川行信、村上宗博、足立幸子著、法藏館、1996年刊
『真宗大系』
真宗典籍刊行会、大正9年刊
※先日27回忌、今日が祥月命日である父の生まれた年の刊行だ。
「蓮如上人御一代記聞書講義」
香月院深励師述。
安居(あんご)
当派の季刊誌『真宗』4月号に「2017年安居開設について」の記事が載った。
期間7月17日~31日。
本講 講本ー『蓮如上人御一代記聞書』
講者 嗣講ー大桑齊
次講 (略)
とあって、今年の安居は『蓮如上人御一代記聞書』についてである。
ところで、当派の学者が『教学研究』という冊子に、私達の宗派は「浄土真宗」です、浄土を名乗りながら浄土を語らない、と書いているのを見たが、
私達の宗派は、「真宗大谷派」であって、「浄土真宗」ではない。
浄土を冠しない「真宗」だから、つい浄土をおろそかにしてしまうのだはないだろうか、と正反対からとらえなければならないのではないか…。ーこれは愚痴。
次のページに参考文献があがっている。
講本 『蓮如上人御一代記聞書』
テキスト 『蓮如上人御一代記聞書』(『真宗聖典』所収)
参考書 香月院深励『蓮如上人御一代記聞書講義』(真宗大系第二十九・第三十巻)
大須賀秀道『蓮如上人御一代記聞書講要』(真宗大谷派宗務所出版部)
稲葉昌丸『蓮如上人行実』(法藏館)
『真宗史料集成』第二巻(同朋舎出版)
稲城正巳『(語る)蓮如と(語られた)蓮如』(人文書院)
大桑齊 『戦国期宗教思想史と蓮如』(法藏館)
この前、楽しみながら勉強をしている方から
「穏やかに、
お時間を、
お作り下さい」
との3(スリー)O(オー)の言葉をいただいた。
どうも、せっかちに物事を運ぼうとし、しかも、出来もしないことをつい考えてしまう。
この文を書いている途中まで、文庫本がないと決めつけていて(お西系の文庫本なので、見つけられなかったのだ)、ないなら、自分で作ろうとまでイメージを膨らませていた。
スリーオーは、それを誡める「燭光柔軟の願」(33願)からの呼びかけである、
と、いただいている。
穏やかな、ゆったりした時間…に憧れておりながら、
気づけば、周りに本をドンドン積み上げている。