三猿の石像、庚申塔

唐崎神社

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ちょっと猿に関心を持っている。
月の半島、仏教と月、真宗と月の延長で、二十三夜待ち、庚申にと広がったのだが、三猿の像があるのを知って、特に唐崎神社の三猿像と石碑の関係が知りたくて、14日(土)、神社へ寄った。
何度か通ったし、七尾市史の時に、調査もしたはずなのに、関心がなかったというか、気づいていなかった(訂正ー前の碑は大きくて、猿が目立たなかったことに因があったようだ)。
多くの市町村史が出ているが、三猿像について触れたものはないようだ。
この三猿は「鳩ヶ峰」碑の下部にあり、一九九九年刊の『七尾の碑』に載る台座と、十四日に見たのではだいぶ変わっている。
以前はもっと高い碑(台座石積み380㌢、高さ230センチ、計610センチ)で、前のものは見た記憶がある。
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(写真は、『七尾の碑(いしぶみ)』七尾市図書館友の会。峯は峰)
碑文については、大林昇太郎氏が「七尾の地方史」第二号に書いておられる(『七尾町旧話』同氏、『時をこえて小島町3丁目神社・寺院編』・平成十二年刊に転載)。
鳩ヶ峰を力士名ではないかと唐戸山相撲史を調べたが、そのような名はなく、七尾小丸山の天長節相撲に関係するかものかとも考えてみたのだが、大林さんの文には、そのような関係については触れていなくて、「常盤町池田屋の別荘というのが、小島唐橋神社の隣に在り、旧道を隔てて床の高い離れ、お亭(ちん)の名と共に主人鳩ヶ峰の碑に拝した「三猿」から「見まい、聞くまい」の名でも呼ばれ、文人墨客の杖を停めたものと聞いている。」(七尾町旧話)とある。

良川・山田寺参道

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