蛸島の島に猿が三匹さぁがった…

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山王神によって大蛸が島にされたとの伝説がある蛸島


季刊誌に「猿」について書くことにした。
猿神・猿鬼伝説が多く、それに関わる行事も多い。
猿の子もある。
月待ち、庚申の痕跡もかなりあるはずだ。

ということで『ものと人間の文化史34猿』(広瀬鎭著、法政大学出版局、1979年刊)を見ていたら、
蛸島の島に猿が三匹下った 誰も下らんだった 出いて下った」(石川)が載っていた。
私も高校で蛸島の同級生が出来たのをきっかけに、蛸島へ行き、この唄とも囃しともつかない言葉を言ったことがある。

この引用は、下の意味が通じない。かといって下の文がどうだったのか覚えていない。
大正12年に刊行された『石川県珠洲郡誌』を見た。
蛸島の島に猿が三匹さあがった、唯もさがらん、だって出いてさあがった。」(P294)とある。
誰ではなく、唯。
ただは下がらなかった、「だって」出してさぁがった、のである。

もう一冊『蛸島の移り変わり』(永松関著、昭和52年・1977刊)を調べた。
蛸島の島に猿が三匹さあがった 誰もさがらん だっこ出いてさあがった」(P95)。
永松先生は、「誰も」であり、「だっこ」出いて、としている。

昨日、お彼岸に蛸島からお嫁に来ておいでたり縁の深い方が二、三に来ておいでた。
彼岸と比叡山、観想念仏に引っかけて、猿話をして
強引だけど、この歌について聞いた。
結果は、
蛸島の島に猿が三匹さあがった ただも下がらん だっこ出いてさあがった」となった。
すっきりした唄になった。
「だっこ」は「尻」の方言。
猿は尻に尽きる。

昔は、このようなことを葉書に書いて歴博にある加能民俗編集係に送ると、今村充夫さんあたりから、すぐに面白いですね、と連絡があり、同じ分野のほかの話しを聞くことが出来た。
楽しかった…。