家庭教師ー教師・大学一年生、生徒・中学三年生ー


これは、カテゴリーで言えば、日々(想い出)しかないのだが、
大学1年の冬、受験間近の中学3年生、2人の家庭教師をしたことがある。
f:id:umiyamabusi:20170313123637j:image
昭和41(1966)年2月20日日本平で(先に書いた3月、久能山を訂正)。
右から山口、木村、海野、森浦さん。
篭上中学校3年生。
春休み。仲良しグループの春の遠足、プラス、家庭教師とのお別れ遠足だったのだと思う。


ことしの年賀状に、大学時代の友達が俺たちの学生時代から、もう50年経つのだ、としみじみした筆跡(そう見えた)で書き込んできたが、
この家庭教師は18から19にかけて、教え子も誕生日が過ぎていれば15歳の女生徒2人だった。
多分、家庭教師経験はこの時だけで、教員になってから、今でいう母子家庭の母親に、中学3年男子生徒の父親に代わり、すなわち話し相手になって欲しいと頼まれ、それも表現のしようがないので家庭教師と言っていたことはあった。
25~27の時の話しで、結婚もしていないのに15歳の父親役という稀有な経験。生徒の成績は問題なく、いつも高級寿司が出て、夕食をお呼ばれに行った程の家庭教師。
中学校の教科書には、初めて見る「集合」などの新概念が並んでいて世の変化を感じたものだった。

静岡での家庭教師から51年ぶりに、その時の生徒さんと連絡が取れたのである。
15歳は、現在66歳。
これは奇跡に近い。
生徒は確かマサコさんとミエコさんで、
それより数年前に社会現象になった大島みち子さんと河野実さんの『愛と死をみつめて』の「マコとミコ」に引っかけて、私は勝手にマコとミコにしていたが、そのマコと連絡が取れたのである。

私は、
先生!、学生服だと先生みたい気がしないから、学生服じゃないのを着てきて…と言われて父の背広を着て、自転車で二人の待つ生徒宅の2階・勉強室に通った。この背広は、授業を受けていた大学教授のと同じだった。
それに対して、彼女は
学生服の先生、覚えがありますが‼そんな事言ったんですか 🙇⤵💢
私が覚えているいるのは、先生がいつもこたつの上に 時計を置いて時間を見ていた時の出来事です。
先生が時計を見て「なぶったでしょ?」って言われた事です。この言葉、記憶違いでなければ良いのですが、確か触ったと言う意味だったと思います。
実は私がいたずらして針を進めました。何十年も前の事ですが「ご免なさい🙇⤵」 です。
先生、覚えて下さってて、有り難うございます。
と書いて来た。
これはフェイスブックのやりとりである。

フェイスブックの仕組みが分からない。
メールで記事が入ることもあれば、今回のように、この人は誰なんだろう?
何かヒントになる文でも書いておられるだろうかと偶然、開いて見たら、唯一家庭教師をした、当時の山口さんだった!!!
ということもある。

f:id:umiyamabusi:20170313123636j:image
この時の私。2月20日だから19歳。
アルバムには「野球部コンパで、二日酔い」との書きこみがある。
準硬式野球部に入っていた。

なぶった+でしょう。

これを読んで、おどろくやらおかしいやら。
珠洲弁に共通語の「でしょう」をつけてしゃべっていたようだ。
「なぶった」がどこでも通じると思っていたらしい。
彼女の記憶は正しく、触ったなのだが、触って状態を変え、それを少し責めるくらいのニュアンスを持った言葉である。
本来は「なぶった+やろう」としかいわなかった。「やろう」の言い回しで、本気で怒っている、笑いながら一緒に楽しむいたずらまでの幅があり、
家庭教師をしていて、いかにもいたずらっぽい目に出会った記憶があるのは、時計の針を進めていた時の顔だったのだ。

方言では、去年新潟三条でお話ししたとき、高岡から嫁がれた方が、先生のおっしゃった「だらやなァ」と「やわやわ、(やるまいかいね)」はこちらの人は分からないと思います。
私は懐かしかったのですが…、とおっしゃた。
職員(大阪の方)に聞くと、やわやわって柔らかいですか?とお答えになった。
ゆっくりゆっくり、あせらずにぐらいの意味である。
正信偈や恩徳讃は、どこでも共通。だから、こちらの表現が通じるというわけもない、ことを知った。
この1日、押水で法話したとき、珠洲からおいでるというので珠洲弁でしゃべってかとおもっとったげけど、先生は珠洲弁使わじながですね、とかつて珠洲で働いていたという人がおっしゃった。
方言は方言を話す対話相手がいないと話せないものです、と説明した。

学生時代、珠洲から行った人が「おいやの○○」とあだ名をつけられていた。
おいやは、そうだ、俺もそう思うぐらいの相づち語。

「なぶった、でしょう」は、笑いをかみしめて笑うくらい、おかしい。

※追加

f:id:umiyamabusi:20170314071743j:image

f:id:umiyamabusi:20170314071742j:image

f:id:umiyamabusi:20170314071741j:image

f:id:umiyamabusi:20170314071739j:image

f:id:umiyamabusi:20170314071737j:image

f:id:umiyamabusi:20170314071738j:image
これは3月。篭上新田の下宿・海野宅。中学校の校庭に接する2階建てのアパートだった。
一年間ここで過ごし、大学へは自転車で通った。
同室の同級生は、最終は珠洲の小学校校長となり、退職してからは農林業にいそしんでいる。

彼が、部屋からグランドを眺めていたら、すぐ下を可愛い中学生たちがこちらを見ながら通り過ぎていき、
しばらくして、そのグループが先生いますか?とのぞいた!!
と、珠洲弁と静岡弁のまじった高揚した口調で伝えてくれたことがあった。

勉強を習いに寄ったのだろうが、あるいはどんなところに住んでいるのか見たかったのかも知れない。
アルバムには、「ネェー君、そもそもおバQは、毛が三本だよ」望月さん「ハァー先生」。
と書いてある。
下宿の想い出ーくじけちゃいけない海の子はー