鵜川~沖波、穴水湾北道、宮犬古道ー巴(御前)塚ー板碑・五輪の風景ー

3月10日、沖波正覚寺さん祠堂経御法話の為、海辺の道を行く。
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懐かしい板碑・五輪光景があった。
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昭和58年(1983)下の道路拡張中見つかった五輪群。
昭和61年原型通り、この地に移したと書いてある。
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甲までの一帯に、五輪・板碑があるようで、まさに海の修験道なのであろう。
この基盤があって、末法浄土信仰が覆っていく。

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石仏の会員から問い合わせのあった「行延ふなやちの三宝荒神石仏」とはこれなのだろうな…?
行延弘法清水と隣接する。
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今日は旧暦2月13日。涅槃間近の月。
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探しに探した巴塚がこんなところにあった。
説明は、義仲の菩提を弔うため、義仲と縁のあった日置氏を訪ねた。
そのことを後世に伝えるため、塚が築かれたと記す。
巴塚は巴陵とも通ずる。
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たいまつ場。
キリコ祭りの時、たいまつを燃やす広場だと説明にあったような。
真言地帯なので、盆の精霊迎え火的たいまつも燃やしたのだろう。
いわば、この一帯は集落の人々が集まる需要な場所である。
当然踊りも踊っただろうし、月待ちもしたはずである。
塚の反対側の山に、庚申塔などがあるはずだと思うのだが、入っていけそうな道がない。

内浦町史に庚申塚を書いた故桜井甚一氏が協力者として現石川県考古学会副会長山田芳和さんの名を書いておいでるので、山田さんに電話して聞いた。
能登町は一緒に歩いたが内浦町は行かなかったとのことだったが、
当地の研究者故坂下喜久次さんから聞いた話しとして、
新しい道をつけたところ、仏教関係の遺物が多く出て、中世○○寺がそのあたりにあったのだろうということだった。
新しい道はこの塚、たいまつ場のある木郎歴史古道道に間違いなく、字名・庚申塚があっても不思議ではない。

だが、独りで入っていってこけたら、立ち直れないだろう。
文化財担当者と探すとか、方法を考えなければならない。