春の雪から、思いはお猿さんへ、そこへイソヒヨドリ

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本堂周りのテントを外し、春…!と思っていたら、
雪が降った。
雪とテントがなく、雪明かりで「お朝事」のお勤めは、明るく広がりを感じた。

私としては、また、雪景色に会えてラッキー。

ところで、このブログの整理をしていたら先日載せた板谷みどりさんの「おもいで」を、以前に書いている。
ブログでさえ、混沌としている。

それで、今日の雪は受験生たちは大変だろうなァとかへ、広げないで

とりあえず、雑誌「能登」に申・猿を書くと言ったので、
御崇敬その他を積み上げ、猿コーナーを作る。
いつもここで、何がどこへ行ったか分からなくなる。

[猿話]
山麓では一匹猿を追わないのだという。
鉄砲を向けると、猿が合掌するのだという。(『ものと人間の文化史34猿』)
能登には4箇所ほど人身御供と猿鬼退治の伝説があるが、西日本系は岩見重太郎、東日本系は犬が猿神を退治する。
娘の代わりに人身御供になるのは、『日本民俗大辞典・上』(執筆・武田正)では「猟師・武士・六部・座頭などが見られる。」と記すが、
七尾青柏祭由来では「越後のシュケン」という名の犬である。
今昔物語集』に二話(「美作の国の�撥、猟師の謀に依りて生贄を止める語 第七」「飛弾の国の猿神、生贄を止める語 第八」)載っており、「宿報」に分類されている。
これらの話、背景も面白そう。
七尾の東海岸に六部の痕跡が有り、シュケンは六部とも見なされる。となると、石仏研究会で六部が大好きな方がおいでるので、面白がるだろうなァ、とは思うが、納経者と修験者の重なる部分を分析しなければならない。
越後の恵信尼公のふるさと近くに、かつて「猿供養寺」というお寺があり、地名が残っている。
なんせ、天台山王の使者が猿だから、広がりは大きい。

そして、パラパラと『七尾の民謡と童唄』(昭和58年5月刊)に蛸島山王で歌われている「猿がさがった…」系の童歌がないか見ていたら、これに類する唄は見つからなかったが、
真宗教義を詠み込んだ「相撲甚句」があった。
これは珍しい。
この『七尾の民謡と童唄』は、この分野の宝庫なので、引用する。

と、ここへどういう研究をしたいかと聞く書類が届いたので、一日中執筆原稿からジャンル分けして、ブログに戻れず、今日は終わり。
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その途中、チチチ、チチチと去年教えてもらったイソヒヨドリらしき鳴き声がするので、窓からのぞいてみた。
まだ色づかない、子だった。
その後、ぶらりと外へ出てみると、綺麗な親鳥が子を探していた。
会えたのだろうか…。