「春勧化」御消息

勧化がはじまった。
昼は本堂横、夜は在所御座。
手紙類を整理していたら、名古屋の羽塚孝和さんの便りに、名古屋(尾張)では、御座とか御消息は死語になっています、というのがあった。
蓮如上人500回忌お待ち受けの時、金沢別院でお話ししたことがあったが、その時のテーマーが「講」の復権だった。
その時、三河出身の本山担当者も聞きにこられ、三河には、門徒宅を回るような「講」(相続講)がないので、どういうことをするのか知りたいからとのことだった。
こちらから見ると、「在所御座がない」ところがある方が不思議だったのに、現今の変化は、夜、御座があることが珍しくなっている。
これもだいぶ前だが、本山から声明指導においでた方に、とっくになくなっておいでる大先輩が、御消息の最後に、漢字が並んでいるけどどう読むのか、と訪ねた。
答えは、御消息って何ですか、見たことないので分かりません…だった。
その時、教義を門主名で出すのが御消息だから、本山にあるわけがないと思ったのと、漢文の読み方を知っていたが、よく勉強しておいでて、それで質問なさった方に、若造が物知り顔で説明するのもどうかと思って、黙っていた。
このような伝統は、どこかで活字化しておかないと、なかったことになってしまう。
ちなみに吉川弘文館の『日本民俗大辞典』でも、全く触れられていない。
近くにある見出しの「御真影」は、親鸞聖人御真影のあるところが「本願寺」で、吉崎には8世住職・蓮如上人がおいでたにも関わらず、吉崎本願寺とならなかったのは、御真影を吉崎に持ってこれなかった、その一点に帰結する。
仏教においての、眞影の重要さは計り知れないのだが、大辞典では天皇だけの説明になっている。

話を戻して、御消息の漢文とは「右如蓮如上人文可有信心決定事肝要也」とあるもので、蓮如上人の「御文」そのまま「御消息」にしているものである。
現在、大谷派から発給の御消息はすべて御文御書である。
それに対して、春勧化で用いてる御書は、御文御書に対してお巧み御書と呼ぶもので、その時々に作成された教義文面の御書である。
この内容が、すごくいい。
発給年月日は乗如上人代の天明7年11月18日。
この日からほぼ2ヶ月半後、天明8年1月30日の京都大火で本願寺も焼失。復興の歩みが歓喜光院殿(乗如上人)御崇敬につながっていく。
当時の教義がどのようであったかが分かる、歴史的な御消息だと思っている。
このような教えが津々浦々に御消息を通して行き渡っていたのであれば、
全国各地から本願寺再建に向けて人々が集まったのは、宜(むべ)なるかなーである。
3月に入ると、
1日に、1組蓮如上人御崇敬(会所・宝達志水町、坪山願生寺ー午後1時半~)、
4日3山組で歓喜光院殿御崇敬(会所・志賀町、火打谷極応寺ー10時半~)のお話しをしに行く。

ついでに、10~12日穴水・沖波、15宝達志水・南吉田、20日お彼岸・当寺、27日同朋会推進員会・当寺。

乗如上人御消息

f:id:umiyamabusi:20110226232327j:image

わさと筆を染さふらふ、
しかれハ、そのもとにをいて連々講をとりむすはれさふらふよし、
またく法義相続のもとひと神妙におほえさふらふ、
抑、当流聖人の勧化のをもむきは、信心をもて本とせられさふらふ、
されハ、わか身は造悪不善の凡夫なれとも、
不思議の誓願力によりて、やすく浄土の往生をとくるなりとふかく信して、
さらにつゆ・ちりはかりも本願をうたかふこゝろをましえす、
一念帰命したてまつれハ、弥陀如来ハよくその機をしろしめして、
无碍の光明におさめとりてすてたまハす、
この世のいのちつきのれハ、あやまたす浄土におくりたまふこゝろを、
すなはち南無阿弥陀仏とはまうすなり、
また経にハ、光明遍照、十方世界、念仏衆生、摂取不捨とハのたまへりとしるへし、
さてその信心といふは、
すなハち弥陀如来の御かたよりさつけまし〳〵たる他力の大信心とおもふへきなり、
なをこのうへにこゝろうへぎやうハ、かやうに弥陀に帰命する一念の信心によりて、
往生治定のうへには、行住坐臥に口にまうさんところの称名は、
われらか一大事の後生をやすくさためたまへる
弥陀大悲の御恩を報尽まうす念仏なりとこゝろうへきものなり、
あなかしこ〳〵、
天明七年十一月十八日釈乗如(花押)
専光寺下能州
珠洲郡飯田町
西勝寺
十四日小寄講中※原文読点なし。

※父の代のある時期まで、拝読し終わると「ギョメイギョハン」と言って、左右の手をさっと交互にして、門徒衆に「釈乗如(花押)」を見せたものである。
いかに講宛の(本物の)御消息を受けるにいたるまで苦労があったかを物語るもので、本物に間違いないぞ、の所作だった。
そのあと文字面を向こう側にしたまま、両脇をしめ、御消息が衣の袖に留まるようにしたままの状態で、巻き戻していく。左右ではなく上下の動きの巻き戻しである。
「ギョメイギョハン(御名御判)」作法はやっていないが、巻き戻しは伝統に則って続けている。
文の文字を向こうに向けるのは、息を吹きかけない為だと聞いたが、
巻き戻しの短い時間でしかないが、素晴らしい字の片鱗を皆さんに感じ取っていただきたいのと、
天明七年から今年で230年、
万が一のしわぶきなどによって文字をにじませたりしないための配慮が、息をかけない、という言葉で語られているのだろうと私なりに解釈して、作法を続けている。