日本伝統漆芸展 第34回-石川県輪島漆芸美術館ー解説・市島桜魚氏

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先日、輪島市ロータリークラブでお話しした日、漆芸美術館に寄って「友の会会員」になる手続きをしてきた。

年に何度も企画展がありながら気づかずにいたのと、
輪島で生まれ、子供の頃は、休みごとに母の実家で過ごし、戦後間もなく嫁いだ母に、祖父が持たせた道具が「天野文堂」の皿だったこと、などをあちこちで話しているわりには、輪島塗について知らないーことを、急に自覚したのである。→天野文堂

確かに、稲舟に「稻忠」やキリコ会館があったころは、制作の様子を何度か見学したが、それだけのことで
「輪島塗」すごい!というだけのレベルの話でしかない。

それで、漆芸展を見に行った。
市島桜魚氏が列品解説をなさる5日に合わせて、出向いた。
1月29日には西勝広氏が解説。お二方は「鑑審査委員」。
2月12日は寺西松太氏(特待者)、
19日は小森邦衛氏(重要無形文化財保持者)が解説なさる。
この肩書きが分からない。

聞きに来ていた若手の作家たち(?)が必死にメモを取っている様子や、
展示作品の作家たちの態度、
お話しの内容から、
鑑審査委員というのはすごい人らしくて、
その人の話を聞けただけで、すごいことだった。

しかも、漆芸展は巡回のようで、各地で開催されている中で、この館ほど展示・鑑賞・作品を生かす要素をすべて満たしているところはないとのお話しだった。

選ばれた作品、解説者、展示場と、
すごいことトリプルの時を過ごした。

ほぼ一時間、一言でいえば見方・感じることの大切さを
分かりやすく話された。
描かれていない黒の世界。
作品は身体の一部にまで消化してから描き、描きたいと思いが強くなりすぎないように、もう一度わが身としてから表現する…。
などの言葉を、作品を前にして聞くと、親鸞聖人の「自然法爾」に通ずる形が目の前にあるような感動を覚えた。
作家の表現しようとした宇宙を感じること。
器として活かされ切ろうとしている形・塗り・色などの全体を受け止めること。
とおっしゃったと思うのだが、
自然法爾」とまで行かなくとも、鴎外の「舞姫」に出てくる主人公・太田豊太郎の独白も浮かんできた。

舞姫

一たび法の精神をだに得たらんには、紛々たる万事は破竹の如くなるべしなどゝ公言しつ。

細かい技術云々より、漆芸品の声を聞いてほしい…、
法の精神さえ得たなら、紛々たる万事は破竹のごとし。

一緒に行ったのは、輪島近くの坊守さんと連れ合い。
坊守さんは、数多くの藩政期からの漆芸品のあるお寺と縁が深く、
いわば生活の中に輪島塗の優品がある世界に生きてこられた。
連れ合いは、結婚前、美術教科書出版の「文教出版社」というところで編集者をしており、シュールという解説語を聞いて当時を思いだしている様子で少しは鑑賞眼があるのだろうが、
私は、螺鈿(らでん)が貝と聞いてへーっと感心しているレベルなので、小学高学年からの読み物『伝統工芸って何?』を買った。
開いてすぐの「形をつくる」に、回転式の「ろくろづくり」や立体形に組み立てる「たたらづくり」とあるが、「ろくろ」「たたら」の説明がいるような気がしたものの、図が多く分かりやすい本だ。
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ーいつ、「買った」から「読んだ」になるか。

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市島さんが、兎の絵を前にして、「兎を描くため兎を知ろうとする為には、兎のどこを観察しますか?」と見学者(私たち)に問いかけられた。
耳は当然として、この作品の作者・○○さんは、お尻だとおしゃっていました。とおっしゃる。
もし、私にあなたはどこだと思いますか?と、たずねられたら、私も「お尻だと思います」と答えただろう。
というのは、『今昔物語集』に出てくる月と兎の話の中に、お尻が印象的に表現されていたことを思いだしていたのだ。

「三獣行菩薩道、兎焼身語第十三」

(みつのけだものぼさつのぎょうをぎょうじ、うさぎみをやけること)
森の三匹の動物たちが、次に世に人に生まれ変わり、仏法を聞くことが出来るようにと、翁に親切にするという善行を実践する。
ちょうど飢えた翁(実は帝釈天)が森に現れたため、獣たちは食物を求めに行く。
猿と狐は食物を手に入れ翁に供したので、翁は二つの獣は、「既に菩薩だ」と感謝する。
それを聞いて、「兎は励みの心を発(おこ)して灯を取り、香を取りて耳は高くくぐせにして、目は大きに、前の足短く、尻の穴は大きに開きて、東西南北求め行(ある)けども、さらに求め得たる物無し。」という日々が続く。
翁の食べ物を探すどころか、自分の身を守ることに精一杯の兎は 捕らえられないために、耳、目を駆使し、
いざというときには、尻の穴を締めると同時に後ろ足を蹴って逃げる状態で森を歩かなければならなかった。
この「尻の穴を大に開きて」の箇所が強く印象に残っており、長い耳も、赤い目も、つまるところ尻につながる兎があった。

写真がないのは残念だが、講師は兎がこんなに可愛いとは…とおっしゃたとき、
本谷文雄氏が編さんした「うさぎワンダーランド」(石川県立歴史博物館、平成11年7月刊)の多くの兎が浮かんだ。
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※偶然としか言いようが無い。
ワンダーランドの写真を挿入するため本棚へ行こうとしていたら、本谷さんから電話がかかってきた。
この話をした。○○さんは、人間国宝で兎をよく取り上げられている中野孝一さんではないかとおっしゃる。蒔絵・沈金・キンマといった用語が理解できれば話が先へ進んだのだろうが、今のところはそこまで。
その人なのかどうかは別にして、名がスーと出てくる本谷さんもすごい。
すごいことカルテットになった!

彫刻ー「夢十夜」第六夜 夏目漱石

木の素材を活かして彫るというか、木の声を聞いて特質を掘り出してあげる、という説明を聞いたとき、漱石の「夢十夜」を思った。

しかし運慶の方では(見学者が現代人ばかりであることを)不思議とも奇体ともとんと感じ得ない様子で一生懸命に彫っている。仰向いてこの態度を眺めていた一人の若い男が、自分の方を振り向いて、
「さすがは運慶だな。眼中に我々なしだ。天下の英雄はただ仁王と我とあるのみと云う態度だ。天晴(あっぱれ)だ」と云って賞め出した。
自分はこの言葉を面白いと思った。
それでちょっと若い男の方を見ると、若い男は、すかさず、「あの鑿(のみ)と槌(つち)の使い方を見たまえ。大自在の妙境に達している」と云った。
(略)運慶は今太い眉を一寸の高さに横へ彫り抜いて、鑿の歯を竪に返すや否や斜(はす)に、上から槌を打ち下(お)ろした。
堅い木を一(ひと)刻みに削って、厚い木屑が槌の声に応じて飛んだと思ったら、小鼻のおっ開(ぴら)いた怒り鼻の側面がたちまち浮き上がって来た。
その刀(とう)の入れ方がいかにも無遠慮であった。そうして少しも疑念を挾(さしはさ)んでおらんように見えた。
「よくああ無造作に鑿を使って、思うような眉(まみえ)や鼻ができるものだな」と自分はあんまり感心したから独言(ひとりごと)のように言った。
するとさっきの若い男が、
「なに、あれは眉や鼻を鑿で作るんじゃない。あの通りの眉や鼻が木の中に埋まっているのを、鑿と槌の力で掘り出すまでだ。まるで土の中から石を掘り出すようなものだからけっして間違うはずはない」と云った。
自分はこの時始めて彫刻とはそんなものかと思い出した。

以下、自分は彫刻をこころみるが、どの木にも仏像は埋まっていなかった。
第六夜了。


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かつて高校で教えた教材の言葉をに思いだし、つないでしまう、この態度からは、
よき鑑賞者とはほど遠いのだろうが、
友の会会員になったのは、できるだけ作品の雰囲気に触れ、
感じようとしているのだ。
聞くことの重さと、そこからの余韻を強く感じた館の一時だった。

解説が終わり、皆は拍手した。
私は、合掌して余韻に浸っていたかった。

蛇足だが、市島さんとはある会議場で並んで座ったことがある。
珠洲出身の重要無形文化財保持者(木竹工分野・人間国宝)・灰外達夫さんが逝去(2015年3月14日)されて間もなくの会議の時で、輪島塗と関係ある方と聞いていたので、少し前に庚申画像を調査した若山町洲巻の旧家に灰外さんの作品があったことを思いだし、灰外さんを糸口に一言言葉を交わしたのだった。
その方なのだろうなァ、という程度で聞きに行ったのだ。
司会の方の紹介から、間違いなくその方で「桜魚」は作家名。
それぞれの作品が本当に好きなご様子がにじみ出ていて、分かりやすい話し方をなさる方だと感心した。