三木清ーたつの・龍野、名塩、蓮如池ー


三木清

私にとって、最初の龍野は、三木清だった。
学生時代、全集の宣伝に、
西田門下のマルクス主義哲学者俊英、破防法によって獄中にあった人々が解放された、まず、三木を救えだった、最後に親鸞に行き着き未完の「親鸞」がある…等々。
真宗の雰囲気がない静岡で、聖人に飢えていた私は、アルバイト料などをつぎ込んで、一冊500円の全集(全19巻)を購入した。

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三木清全集第十八巻』岩波書店
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親鸞」目次
第一章と、第四章しかない。
後記にこうある。
「著者の死後、埼玉の疎開先に残されていた遺稿である。
はじめに発見された草稿は二百字詰の原稿用紙百八十七枚であったが、翌年すなわち昭和二十一(一九四六)年の秋、その一章をなす「歴史の自覚」と題する原稿九十七枚(二百字詰)が、デカルト省察』の訳稿といっしょに発見された。昭和十九(一九四四)年三月、著者が官憲に検挙された際、警視庁に押収されていたのが、敗戦後、自由法曹団の手を通して回収され、遺族の手に戻ってきたのである。(以下略)」
九つの題名を記した一枚の遺稿があり、残された原稿に書かれていた内容を当てはめたのが、目次である。
今になって、一章と四章しかないことに気づいた。

全部完成していれば、河北の西田幾多郎竜野の風土が受け継いでの勝れた「親鸞」が世に残ったはずだった。

19巻の全集を残しての享年49歳。

西田、三木、戸坂

※三木の死によって、1945年は、西田幾多郎三木清、そして戸坂潤の三人の師弟が同時になくなるという、哲学界にとっても実に喪失の大きい年となった。法名は、真実院釋清心。なお蔵書は法政大学に所蔵されている。1997年、龍野市から名誉市民の称号が与えられた。(この部分、ウキペディア)
西田は宇ノ気、戸坂は富来、そして三木。
エー!なんだこのすごい取り合わせは…!だ。
1968年3月18日刊。


若き頃、大谷・龍谷の教師もしていたそうだが、清沢満之ばかりで三木清の研究は聞こえてこない(たぶん私が知らないだけだろう)。

全集にもどると、
早い配本の巻にドイツ語で書いた論があった。
全巻読もうと購入しだした本だったので、
ドイツ語から勉強しなくてはと、岩波の「ドイツ語入門」を買って、数ページ勉強した。
英語で言うとWhat is this?にあたる、バスイストダスまで進んだところで、挫折した。
18巻は先の先だったけど、読んだ形跡がある。

友の後輩

学生時代卒論を書くために、かつて叔父が下宿していた下宿先にお世話になりながら、大谷大学へ行って、図書館や学内の本屋さんで参考文献を捜した。
高校の同級生が谷大におり、全てを頼り切っての数日だった。
その彼が、児文研(?)とかいう児童教化サークルに入っていて、その部活にもついていった。その時のながれに本山参詣があったようで、本山へもついていった。そこで、自然に合掌される姿の美しさに出会った。
(自己否定、ラジカル、誰の何のための大学か?
微妙なズレを遅くまで語り合い、主義・主張がぶつかりあっていたその頃、)
堂内に「ぜんまいののの字ばかりの寂光土」(川端茅舎)を感じさせる場が生まれたことに驚いた。
その方は、全学封鎖中の大学からやってきて、たぶん勇ましことを言っていた先輩の同級生に、うさんくささというか相容れないものを感じられたのだろう、
一・二度質問なさったはずだ。
その方が、同級生から龍野の人と聞いた。

藤元正樹師

住職になってから、多くの著作があり、多くの方々に影響を与えた藤元正樹師が龍野だと知った。
能登教務所で連続教学講座の講師をなさっていたから、あるいは
どこかでお会いしているのかも知れないが、同朋大会などの講義も含めて聞いたり、出会った記憶はない。


平成8年(1996)2月15日、龍野など

龍野へは行ってるはずだ。
蓮如上人の足跡を尋ねて、各地を巡っていた頃、
確か、6歳で別れた上人の母親が、西国の人とのことで、上人が龍野あたりに御坊を建て、お探しになられた、という話しがあった。
それで、訪ねたはずである。
蓮如習俗論」には、一言だが、西宮名塩の「蓮如池」、出口光善寺なども取り上げたから、それらの御旧跡を訪ねる旅でもあったはずである。


その頃の記録をあらためて調べると
平成8年(1996)2月12日、山科・勧修寺ー随心院ー別院ー守山ー金森ー赤野井
13、14日本山教導(蓮如上人)研修
15日、姫路ー龍野ー姫路ー神戸三宮ー深川公園
16日、ー有馬温泉ー三田ー名塩ー教行寺ー蓮如池ー大阪京橋ー出口光善寺ー京都ー金沢ー帰宅
となっている。電車・バスで巡ったのだから、行動力があった時代だ。
写真も出てきた。
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竜野駅

三木露風

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「赤とんぼ」の三木露風も龍野だと知ったは、三木清を知った頃ではなかっただろうか…。
赤とんぼを、ねえやに背「負われて」見たので、「追われて」見たのではないことを知ったのは、いつの日だったか…。

如来寺三木露風
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竜野御坊・円光寺
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有馬温泉御所坊

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教行寺へ
御文がもっともあるお寺。教行寺版御文。

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名塩教行寺
前年の1月17日、ほぼ一年前に「阪神・淡路大震災」が襲った。
石垣が崩れているのは、その地震による。

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文明7年お箸杉

名塩・蓮如

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蓮如
18年前、宅地造成で景観が大きく変わろうとしてる、その中に、ぽつんと池があった。
今は、どうなっているだろう…。

*平成8年(1996)2月15、16日ー2014(平成26)年ブログ部分再録のつもりが、他の部分(西脇修氏との思い出など)消してしまった。