若山荘-本願寺との繋がり、春日神社の祭り。

19日夜8時半
f:id:umiyamabusi:20160719213132j:image
満月。像法期までの弥陀の縁日、15日。
f:id:umiyamabusi:20160719213126j:image
箇条書きで。
若山荘は、1143年、源季兼が皇嘉門院(崇徳上皇后)聖子へ寄進。
親鸞聖人誕生の30年前のことで、エリアは直郷、飯田郷、若山郷、西海浦、木郎郷。

皇后聖子の異母弟が九条兼実であり、荘園は本家九条家、領家日野家の支配関係が続く。
九条家は元藤原で、藤原家の氏神・春日が飯田郷の鎮守である。
春日権現の本地は、不空羂索観音薬師如来地蔵菩薩・十一面観音。

法然上人があらわした「選択本願念仏集」は、政界から引退した九条兼実法名・円照)の求めに応じて書かれたもの。
兼実の弟が親鸞聖人のお剃髪をした天台座主・慈鎮和尚である。

真宗と深い関わりのある若山庄ということになるが、飯田郷・飯田城の城主の寺庵が光福庵。のちの西勝寺。
西勝寺の山号臥龍山阿弥陀山、春日山、城山)で、西勝寺と春日神社は接するようにある。
山号からいうと春日山臥龍山の一山である。

若山荘末期の支配者は日野家の分家、広橋家当主兼郷。
兼郷は本願寺八世蓮如上人の烏帽子親。
法名蓮如は父の一字をもらい、俗名・兼寿と名乗る。

20日、21日は飯田春日神社の祭礼、燈籠山祭。
この祭礼日はエビスの縁日である。
19日、各燈籠山が町内にお披露目に出る。
子供の踊りも披露される。

『奥能登のキリコまつり』(奥能登広域圏無形民俗文化財保存委員会編、奥能登広域圏事務組合、平成6年刊)を編纂した折、飯田の祭りは山車祭りだが燈籠山というように燈籠=キリコが用いられるので、キリコの範疇に入れて紹介した。
明日・明後日の祭りを取材するMROテレビが、どうして燈籠山(とろやま)がキリコなのか疑問を抱いたらしい。
キリコなら元キリコ会館館長・藤平朝雄氏。
平氏に取材したらしい。そしたら飯田のことは西山に聞きなさいとおっしゃたらしい。
こちらに質問が来た。
お話しすると、はじめて納得できた。ついては祭り当日解説というか説明を、というので町内の人間は山車を引っ張る。
私は住職なので、山車を曳きに出ないが、その代わり家で、花火でも見ながら祭り囃子を聞いている程度で、目立つことはしません。
では、番組の中で西山の見解を紹介していいか。
それは、どうぞ…。ということになった。

明治以降、権現がなくなり、神も率先して教えに会い、共に救われていく、という世界がなくなった。