広覚寺さんー粟津潔氏。嘉門安雄氏

布教に出向いた広覚寺さんは、粟津姓。
デザイナー粟津潔(1929年2月19日 - 2009年4月28日)氏の父の生家である。
その事は早くから知っていた。
もう一つ、戸坂潤氏の実家が当寺の門徒で、
戸坂は幼少期、富来の祖父母の元・戸坂新宅家に疎開していた。
そのような話しを住職さんとする機会があり、
今回の御縁となった。
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粟津潔の作品:富来トンネル
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荒木の海岸から高爪山


広覚寺さん。
芸術家を生んだ雰囲気が各所に窺える。
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従兄弟にあたる現住職・啓有氏の字も素晴らしい。

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粟津潔著『デザインに何ができるか』1969年、田畑書店刊
坊守が嫁ぐ前に、仕事の関係で読んでいた本。
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『妄想ニッポン紀行』カバー装画:粟津潔
本文に小松左京との対談がある。

富来増穂の浦で行われた荒野のグラフィズム粟津潔日本海の波と夕日を背に山下洋輔の“炎上パフォーマンス”(執筆:不動美里 金沢21世紀美術館学芸課長)。
横川巴人氏も粟津家と縁がある。

嘉門安雄氏

ついでに、当寺(西勝寺)の祠堂経の合間に『唱歌・童謡ものがたり』(岩波現代文庫)を見ていたら、「われは海の子」の説明文に「東京都現代美術館館長の嘉門安雄(83、註原稿当時。1913年12月1日 - 2007年1月5日)。海に育まれた「海の子」の一人だ。」とあって、
生まれ故郷は、石川県門前町の海辺。かつて黒島村と言ったあたりで、自宅の屋敷から通りを隔ててすぐ海がある。」とあるではないか。
その時布教中だった広陵兼純師のお寺と黒島海岸は、直線で2・5㎞しか離れていない。
早速、広陵氏に門前にこんな人がいるよ、と話すのだが分野が違いすぎて、師も私もフーン、というだけだったのだが、坊守が、えーっ嘉門さんも能登の人なのと反応を示した。
「も」は、言うまでもなく粟津潔と、である。
広覚寺と門前黒島は直線距離にして10数㎞といったところか。
嘉門という人は、まだどんな人なのか知らないが…
旧隣町に、現代アートの担い手が輩出された、ということらしい。
門前町史』の折には、そんな話しはでなかった、なぁ…。