羽咋・叔母

21日(日)
昨晩夜遅く、押水の叔母が還浄した。
私には父方・母方併せてオジ・オバは4人しかいない。
父が示寂してから伯母、伯父、叔父が還帰し、最後の叔母だった。
金沢へ行き来する道から少しコースを代えると叔母のところへ行くので、思いだしたように、ヨー、ドウシトルイと寄ったものだった。
ヨーキタナァーから始まり、サトッチャンにとって1人のおばさんやものなぁとかゲーチャン(父の愛称)の息子や、カワイイイナァとか、60過ぎの爺さんが子供だった。別れ際には必ずマタ、ヨッテイコウゾと言った。
弔いに行き、叔母との時を過ごし、マタ、ヨッテイコウゾの声をこころで聞きながら、帰りに羽咋を歩いた。


早く還帰した同年代の従兄弟(喪主の兄)の初任校が羽咋の羽松高校。私は羽咋工業高校だったこともあり、その頃から叔母のいる押水が急に身近になった。
それからもう45年近くになる。


四本柱のない唐戸山相撲場に佇むと、伯母、伯父、叔父、叔母の四本柱がなく、青い空がただ広がっているような奇妙さを感じた。何もかもが、ヒョイと叔母を送る日を迎えたことに関わっているような気分で羽咋を歩いた。



f:id:umiyamabusi:20160221201444j:image
唐戸山相撲場
f:id:umiyamabusi:20160221202134j:image

f:id:umiyamabusi:20160221201434j:image
満座相撲の本念寺
藩政期には真宗大谷派羽咋郡触頭
臼ヶ峰の聖徳太子はこの寺院と関わっている。

f:id:umiyamabusi:20160221201425j:image
羽咋神社。
歴代の唐戸山相撲大関奉納額が掲げられている。
f:id:umiyamabusi:20160221201421j:image
折口信夫全集第一巻古代研究(国文学篇)』
巻頭写真、漂着神を祀ったたぶの杜。
このタブは気多のいらずの杜のタブだと、写真を確かめずに思っていたことがある。
写真を見れば鳥居がある。
大己貴像石神社の杜だ。
f:id:umiyamabusi:20160221201414j:image
同じアングルで撮ろうとしたが、そこは田でぬかるみ入ることが出来なかった。
f:id:umiyamabusi:20160221201407j:image
境内にある「地震石」。
気多は宝達の遙拝所
大己貴像石は白山の遙拝所のライン上にある。
遙拝ライン
f:id:umiyamabusi:20160221201401j:image
折口春洋、信夫の墓標。
墓碑銘