福岡・飯塚ー塩谷利宗君が生きた地ー行

台風18号が北上している最中の5日、朝7時過ぎに出発して、10時55分のサンダーバードに乗り、のぞみ号で博多、さらに飯塚まで行った。
到着したのは17時過ぎ。

 

九州へ行ったのは、高校2年の時の修学旅行(中国、北九州)、教員をしていて宇出津高校の2年生を引率(九州一周)した、その2回のみ。

 

博多で乗り換えも、飯塚も初めてである。
目的は、一度行く…といっておりながら、行くことがないままに今日まで来てしまった、京都時代の友だち釈利宗氏の追弔である。
40数年前の結婚式(新潟高田)以来の再開で、駅に迎えに来て下さった奥さんも、すこぶるいい人で、
語ればきりがないので、そのことは置いておいて

 

飯塚光景。
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飯塚駅。17時9分。
飯塚駅新築工事、昭和45年3月の碑が建っていた。

 

44年前。2人は新築間もない駅に降り立ち、新たな生活を始めたのだ…と空想した。
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6日は特にすることもなく、駅まで歩いた。
空き店舗もなく、昭和の繁華街が生きている。
町が近現代遺産だ、と思った。
小さな小路の名が「有楽町」だったり…、
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嘉穂劇場ー開場昭和6年、芝居の名場面の絵、など。
9時から見学できるということだが、その頃は電車の中か…
通過ー8時23分。

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遠賀川支流の橋を渡りながら、すれ違った人に山の名を聞いた。
ボタ山です。とおっしゃる。

 

あんなでかいボタ山があるものか…、と橋を渡り終えてから、別の方に聞くと
やはりボタ山だとおっしゃる。
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飯塚駅そばから見えるボタ山


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時間があったので、駅の周りも歩いてみた。
菰田橋という手の込んだ橋が駅前にあった。
昭和6年5月に、この芸術的な橋が出来ている。
多くの人たちが、この橋を渡って町に住み、旅立ち、帰ってきた。
嘉穂劇場も同じ昭和6年
飯塚では、この年が1つの転機のようだ。