桃栗三年、西方浄土の木。

調査していて、山道に入って栗を見つけると、たまらない。
まもなく行事が始まる、というときでも、車を停めて、せいぜい一つか二つなのだが、イガをむいて栗の実を手にしてしまう。
あの形、つやつやした色…がたまらない、としかいいようがない。
それで、栗の木を植えてもらった。
桃栗三年というのに、もう7、8年は経っているのではないだろうか
実がつこうとしない。
今年は、実のならない栗について勉強した。
結論は、10メートル以内に、もう一本木が必要だということ。
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これがその栗の木。
23日のお彼岸の日、法話彼岸花が咲いているとお話ししたため、何人かで彼岸花を見に、栗の木のそばまで来た。
なろうとしない栗の木、と説明したら、あそこに実がついている、とおっしゃる方がいる。
確かに先の方に一つイガが見えた。
今日、どうなっているか見に行った。実がない。
どれだけみても青いイガが見えない。
あきらめて本の整理をしながら、ひょっとしたら落ちているかも知れないと思い
見に行くと、大きな立派な栗の実が落ちていた。
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5センチ以上ある。
どうしたものか?
この実から木が育つかも知れないと、もう一度、落ちていたところに戻してきた。
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百日紅も枯れていると思っていたのが、下から葉が出てきて後はあっという間に大きくなっていったのに驚いたが、
栗は、最初は一つだけの「実」から増えていくのだろうか?



「新緑は曇りガラスを緑にす 西方浄土の木なる栗の木」と、
震災の年の初夏に、緑に励まされ、希望を詠んだ方もおいでる。