夏休みー石立、千石、碁石が峯、原山大池、機具岩ー

7月下旬は、城端、井波へ行くことに決めていたのだが、今年は何度も訪ねているので、
28(月)、29日(火)気になっている地を歩いた。

加賀

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石立・石の木塚
※8月5日追加
1991年平成3年、23年前の写真が出てきた。
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根上町史(平成4~5年頃)をやっていた頃、必ずと言っていいほど石の木塚が見える道路を通り、
石の木塚を見た。
その時の記憶より大きかったが、以前は道路を走っていてすぐ見えたのに、今は小公園になっていて、そのため、見つけにくい印象を持った。
この石には、浦島伝説、弁慶伝説などがあり、
石の根は石動山に続いているとの話もある(案内板)。
石動修験との関わりだ。
浦島伝説では、竜宮で授かった五人の子が、父恋しさに渚までやってくる。
陸に足が触れたら石になるから、渚までと固く言われていたのに、少し近づくのならいいだろう、と
ジリジリ陸に近づいていき、とうとう石になってしまった、というのである。
この話、父恋しさに渚から陸に少しずつ近づいていく描写が感動的だった子供向け冊子があった。
探してみるけど見つからない。
太平出版社の本だったと記憶しているのだが…。
※30日追加。
あった。
『海鳴りのくにの18のものがたり』かつおきんや氏編、小納弘・橋本ときお氏再話、金沢佑光氏絵。太平出版社、1978年刊。
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作品部分(PDF)
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弁慶が引き抜こうとして、手のあとがついた弁慶石もある。

能登

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羽咋、千石町
町名由来となった千石高の豆の木が生えていた跡地と伝承する丸池。
大きく育った豆の木を倒したところ、川向こうの神子原(みこはら)まで届いたという。
「加賀・能登むかし話の旅」
これは、新聞に紹介された解説で、
このたび刊行された『加賀・能登むかし話の旅』の解説も同じだと思っていたところ、違っている。それで参考までに紹介する。
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DVDブックス版、池を覗いておられるのは常田富士男
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健気に働く、主人公おみよ(挿絵:久村秀夫氏)。


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神子原から碁石が峰へ向かう。
鹿島高畠、羽咋酒井道は通ったことがあるが、神子原道は初めて。
途中に、市指定神子原ウラジロガシの案内板。
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碁石が峰山頂への道。
汽車が走っていそうだ。
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原山大池
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ここは、羽咋工業の遠足(昭和48年)、鹿島町史(昭和59年刊)、県生涯教育バスツァー、能登を知る会などで何度も訪れている。
遠くの記憶だから、鹿島町史調査の時なのだろうが、
プロレスラーたちが孤児の子たちを招待し、その子たちを乗せ、何艘ものボートを漕いでいる光景に出会ったことがあった。
取り合わせの不思議な光景だったが、胸が熱くなったことを覚えている。
その出来事を思い出し、湖面を見ると二艘のボートがあった。

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富来。
機具岩から能登富士・高爪山を望む。