わかりやすい親鸞聖人伝、難しい「聖人」解説

わかりやすい「聖人」

先日、執筆者の亀淵卓氏とたまたまお会いし、ご本をいただいた。
わかりやすく簡潔に、聖人の御一生が紹介されている。
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『ご旧跡でたどる親鸞聖人のご生涯』文・亀淵卓、絵・石井澄江氏
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見開き左ページに石井澄江氏の絵があって、これがいい。
たぶん、緑の使い方がお上手なのだろう、ほーっとする絵が続く。
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それに、この本は石井さんのお寺で出された本のようで、回り回って(回ってぐらいかも知れないが)
、私が一冊いただきました。とお礼の便りを書いた。
そうしたら、お返事をいただいた。その葉書の部分である。
全体を示すことが出来ればよかったのだが、絵も部分である。
最初絵はがきかと思った。このような絵が描ける人は、楽しいだろうな。
CD平野修氏「化身土巻の心-念仏の心得」装画も石井氏。


難しい「聖人」解説
別の本で、タイトルに「わかりやすい」とある本だ。
「古来「総標綱紀(そうひょうこうき)の文」と言われている。」
「古来六字釈と言われている。」
古来?っていつ頃から。
「古」は一人ひとり違う。今昔物語は今は昔…。
龍之介は森で木がおしゃべりをしていた頃、と昔々をあらわしている。


フリガナもソウヒョウコウキはそれ以外読めそうになく、どちらかと言えば「文」をモンと読む方が難しい。
そちらにこそ振るべきだと思う。
古来から言われていることを知らないので、『真宗辞典』で調べた。
出てこない。
言われているのは、どこで、あるいは~~派の学者の間で、ぐらいを書いておいてくれないとこまる。
今朝の朝刊に、五木寛之氏が「親鸞」の連載を終えて、と感想を語っておられた。
宗門の人が思っているほど、親鸞は知られていない。
ある青年が(前に読んだときは、少年だったような気もするが)親オオトリってなんや(誰や)?と言っているのを聞いた。
親鸞の名を広めたぐらいの功績はあった、と思っている。
というようなことをおっしゃっていた。


親鸞聖人でさえ、このレベルなのに、2つの引用はすごすぎる。
入門書なのだ。
「『大乗義章』に~説かれる。」
「『浄土文類聚鈔』には、…」「『智度論』には、…」
「原口針水師が…」
書物の説明が無いままの引用。
入門書なので注もない。
『大乗義章』は全てを託している私の『真宗辞典』に出てこない。
原口氏は出てきた。
私のレベルでは、あの歌の作者か…、程度には理解できたので、「…という歌を詠まれた原口針水師が…」とあれば、もう少し入門らしくなるのに、と思う。


「これを、覈求其本(かくぐごほん)釈、または覈本(かくほん)釈という。」
「これは一般に『両重因縁釈』とよばれている。」
こんなことを、読者に教えてどうなる…。
聞き開き(真宗宗歌)が門徒の歩むべき道なのに、対話の中でそれは「カクホンシャクですね」なんて話す人が出てきたらどうするんだろう。
運良く辞典を持ち歩いていて、待って、言葉が分からないから調べる…。
「学仏大悲心」次は「学侶」だ。「カクホン」なんて無いぞ。
それに、一般に『両重因縁釈』とお示し下さるが、これは辞典に出ていた。
でも、知らない私は一般からはみ出ている。
すごい一般世界があるものだ。

この執筆者は、物知りであることを言おうとしているだけじゃないか?
どういう世界においでる人だろう?と、奥付を見ると
とっくに亡くなっておいでた。