常田さんと歩く昔話の旅「別所岳と弁慶石」3月前半

f:id:umiyamabusi:20140228055558j:image
2月26日朝刊
f:id:umiyamabusi:20140228055550j:image
PDF
昨年の1月25日(金)、一本の電話からこの企画に協力させてもらうことになった。
原作を書き、それを脚本にし、常田富士男氏が語る。
その時、常田(ときた)富士男という方の名を初めて聞いた。
日本昔話の語り部、近年では「真宗かるた」の読み手…、なるほど、ハーン
調べていくと、三国連太郎の『白い道』などの映画にも多く出ておられる。


初めての撮影が、3月14日(木)、大荒れとなった翌日、さんにょもんの舞台ー琴江院、三崎の海岸などで行われた。
晴れて綺麗な日だったが寒かった。
苦労といえば、
PDFで届く脚本を直すのにずいぶん苦労した。今年の最後の原稿でコメントの付け方が分かったのだが、それまではスキャナーで取り込み、直しを入れ、またスキャナーで取り込み、送るという、たぶんもっと効率的なやり方があるのだろうと思いながら、13話をこなした。


最初の撮影の時も、勝手に監修者の私が、常田さんを現地で案内し、民話の背景・風土などを解説するのだろうと思っていた。
それで、担当の方に、どういう格好で行けばいい?スーツかな…といいつつ、スーツ姿で落ち合う場所へ行ってみると、女性アナウンサーがいた。
その方が、進行役だった。
かなりトンチンカンのところもあったが、
4月から始まって月の前半・後半に流れた24話のうちー
明日からの放送で私の担当分が全て放送されることになった。
この記事を見て、2月は短いとあらためて感じている。


珠洲は、金沢ケーブルネットの協力エリアではないので、一度も作品は見ていない。
この期間、ビジネスホテルなどに泊まることはあったが、ケーブルテレビまで流しているところはなかった。


ということで、遠く離れて仕事したことがあった、ぐらいの思い出になっていくのだろう。
体をこわさず、ほぼ毎月、一~二話の話しを進めていくことが出来たのは、何よりだったし
今、やっている妙好人小林一茶の資料集めの中で、一茶が52歳の時、初めて結婚した相手が
常田久右ヱ門の娘・きく(28歳)と知ったとき、
私の周りには常田姓の方がおいでにならないこともあって、「縁」も感じた。

担当の記者さんも、注文が多くて大変だったろうが、この場でご苦労さんと申し上げたい。