豊浜トンネル事故ー平成18年2月10日の記事ー再掲
もう10年も経ったのだ。
事故より5日早いが、日曜ということもあったのだろう、
豊浜トンネル事故の追悼(追弔)会が催された旨のニュースに接した。
あの頃は、助け合う人々の姿が次々に報道されていた。
平成8年2月15日(だと思う)の「天声人語」
毎日、胸がつぶれる思いで、北海道のトンネル崩落事故の報道に接する。
爆破で巨岩がようやく海側へ落下したとき、
閉じこめられている人の家族が『あ、落ちた、あ、落ちた、落ちた、落ちた、あ』と繰り返しつぶやいていた。
全国のテレビの前で、思わず『落ちた、やっと落ちた』と声に出した人もいたに違いない
説明がいるだろう。
早く救出をと11日から毎日発破をかけるのだが、
3回はダメで、
14日の4回目にようやく2万7000トンの岩が落ちたのだった。
コラムは、
豊浜トンネルは1086㍍。全国一の77カ所のトンネルがある国道を生活道として人々は住み続ける、と続き、
大井紀子さんの「今は、わかる」と題する詩が紹介されている。
子供のころ
とても疑問に思っていることが ありました
しょちゅう地震や台風の
被害をうけている地に
人はなぜ とどまっているのだろう
(中略)
大人になりましたが
まだわかりませんでした
でも今では
はっきりとわかります
ちょうど一年前
私の住む町が
被災地と呼ばれるようになった
あの日から
大井さんは、芦屋市の人である。
【このブログは操作ミスで、途中から消えてしまっていた。
大井さんの詩が載っている天声人語を
探しだし、あらためて書いた】
※2021年6月23日追記
私の住む町が
被災地と呼ばれるようになった
あの日から
は、1995年(平成7年)1月17日5時46分52秒に発生した
阪神・淡路大震災である。
この時、能登の先端近くにある私の部屋も、深いところからユラーーと揺れた。
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