『能登島町史』写真ー大橋開通ー【七尾市】

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18日(月)向田・ガラス美術館から、七尾北湾。


市町村市を手伝うとき、写真は編纂室に頼む、
あるいは、写真を撮っても、現像などの作業・費用は編纂室の担当者に頼むケースがあるが、
私は、家へ帰ってから、現像するやり方もしてきた。

結果、多くの写真が残っている地域がある。
30年前に町史を刊行した、能登島
もその一つだ。


こういった写真は、
論文などで、使う場合もあって、手元においておいたが、
このまま、いつまでも私の元にあっても生かされない時がやってくる、
現地の、編纂室、教育委員会、図書館などにお返し、というかお渡しすればいい、
と、数年前から思うようになってきた。


そう思うようになって、注意して見ると、言うまでもないことだが編纂室は解散し、
資料などの保管が、どうなっているのか分からないことが多い。
実際に、あるところで、親戚を通して貸した資料が行方不明なので、捜して欲しいと頼まれ、
ようやく倉庫のカバンの中に文書類があるのを見つけ出し、持ち主にお返ししたこともある。

notojima Oine

能登島の場合は、
ガラス美術館の学芸員に、高校の教え子が就職し、
仲間たちと、ミニコミ誌を出版していることを知った。
その時、昭和50年頃の写真を、使うならと…と何年か前に、写真を持って行った。
そのままになっても、珠洲に置いておくよりいいだろうの…判断だった。
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「notojima Oine」。能登島おいね。おいねは、そう、その通り、ほどの意。
4号(2007年9月)~7号(2008年12月)を所有している。
その頃に、持って行ったようだ。
それで、この前、能登島大橋30周年の看板に出会い、当時の担当者とお話しする中で、一室に資料を保管してあることを聞いた。
となれば、そこに残すのが筋だろう、美術館によって一旦、写真を持ち帰った。
その時の、七尾湾の光景が、上の写真。
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火祭りはズーと泊まり込んで、松明ができあがるまでを、全て撮ってある。
野崎の虫送り、秋祭りの獅子舞とニワカも、もっとも盛んな頃の行事で貴重なものだ。
能登島・その他」には、能登島と関係ない写真が混じっていた。
もう一度整理し直し、一部はスキャンして残し(パソコン壊れが何度かあったため、一枚も残っていない)
その上で、能登島へ…。
能登島関係は498枚あった。白黒写真である。

能登島大橋開通 昭和57年(1982)4月3日

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雨模様の日だった。
上から橋を渡ろうと並ぶ車。午後2時
橋の下を渡る船のバレード2枚
渡り初めの・音楽隊


最近、太ったがでない…?
と、また言われるようになった。
寝て食ってから脱却するためにも、
整理を始めるか…。