不動寺公民館ーふるさとを知るー能登町
17日。
10時半から11時40分。
お話ししてきた。
『内浦町史』に宮犬(地名)の通称・庚申塚に三基の庚申塔があると出ており、写真も載っている。
それなのに、宮犬の誰に聞いても、その場所が分からない。
この公民館行事の役員・世話人として宮犬の方も来ておいでになり、私が「庚申塚」を捜していることを覚えておいでになり、
在所の長老の方と一緒に待っておられたのだが、
やはり分からない。
『町史』に書いてある場所が、長年研究を続けてこられたお二方ー馬場宏・坂下喜久次氏ーが、亡くなられると、
もう分からなくなってしまうのである。
庚申塔も、巡礼供養塔も、みんなお墓で、
研究者(この場合、私)は、違うのかも知れないが、
そこにおいでた方々には、一緒のお墓としか思えないという。
そうだろうな…。
午後の打ち合わせでは、
寛文ごろの下町野組(珠洲の一部が混じっている)から、話が始まるのだから、
(珠洲郡、鳳至郡のほかに、両郡をまたぐ組があったって??…、
なんじゃそりゃ??、
下町野のほかにはどんな組があって、今のどこが、どの組に入ってるの??)
それこそ、チンプンカンプン。