【能登島】能登島大橋ー30周年の年ー『能登島町史』も。

21日(月)
羽咋~七尾~能登島~中島を巡った。
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1050メートルの能登島大橋は昭和57年(1982)4月3日に完成。
大橋近くの解説板に、
「かもめが大空に翼を広げた姿をしている。」と書いてある。
このことは、初めて知った。
今年が30周年。
ということは、『能登島町史』も30周年だ。
能登島町史』第2巻編纂日誌(PDF)によれば、
橋の完成までに7回調査に出向いているから
少なくとも7回は船(七尾~能登島佐波)で渡っていることになる。
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【写真】『能登島町史』通史編より。
この航路は、大橋開通式の約1ヶ月後廃航となった。
通史が刊行されたのが昭和60年3月なので、キャプションには「かつての…」となっている。


記憶の曖昧さー1~2度船に渡り、あとは橋を車で渡って調査した、ぐらいに思っていた。
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写真でも分かるように、橋のライトは奥能登側にしかついていない。
海に灯りが漏れると、魚がおそれて回遊しなくなるので、このような設計になった、ということを
橋が出来る頃に聞いた。
満月の日は魚は海深く潜っているため、漁にならず
それで近くの石崎町は満月の晩は、仏事・御座、祭りで時を過ごした。
能登の祭りで石崎の奉灯祭り(キリコ祭り)が、もっとも遅くまで旧暦を踏襲したのは、灯りと魚の習性によるものだった。
そのことを、橋の灯りは教えていてくれる。
ところが、数年前、県民大学史跡巡りで、橋を渡る際にそのことを話したら、えーっとの声が上がり、
橋の灯りのいわれを知っている人がいなかった。
私はわたしで、風化の早さに驚いたのだったが
今年が30周年なのか…


たまたま能登島へ寄った。そこで、
30周年の文字を見つけた。
編纂日誌に
「向田にて火祭りの調査、準備作業から祭りの後始末まで雨に濡れて奮闘する。」とか、待ち合わせ場所が分からなくなり、遅くなって調査地で会った、とか次の後記(PDF)にあるように、夜遅く帰ろうとした時、車のガソリンが無いと窮地に陥ったことなど、
若さゆえの、調査をしたものだった。、

感慨深い。