直木賞『等伯』ー安部龍太郎氏と西のぼる氏ー等伯の地元・石川の反応山秋 真『原発をつくらせない人々ー祝い島から未来へ』

昨年9月、こんなことがあったのだ。
安部龍太郎・西のぼる「画聖・等伯を語る」
この日参加した人は、両氏のサインをもらっているかも知れない。

珠洲市でも、
2008(平成20年)年に安部・西両氏の催し物(西のぼる氏画業生活30周年)が行われていた。

等伯の出身地・七尾、挿絵を担当した西のぼる氏の故郷、石川の新聞。

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北陸中日新聞(PDF)
記事には
等伯を書いたのも西さんの進言がきっかけ。」、
「安部さんは「奥能登珠洲に生まれ高校まで珠洲で過ごし)から世に出た西さんがモデル」と言い切る。」
とまで書いてある。
西氏にお讃えする電話を入れると、夕刻珠洲に行くという。
夜、ちょっとの間お会いした。
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北國新聞(PDF)

『『さし絵の周辺』出版パーティ』

私は一度(あるいは前出2008年の2回)、安部氏とお会いした、というか近くで姿をお見かけしたことがある。
1994(平成6)年、11月24日のことだ。
名古屋で行われた、海越出版社主催の西のぼる氏の著書
『さし絵の周辺』出版パーティに、同級生として参加したときのことだった。
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今、その記憶をたどってみるのだが…その頃何をしていたかが、全く記憶にない。
出版パーティに出たのは、教員をしていたときとばかり思っていたのだが、あらためてその年を確かめたら18年前。
その頃は、もう辞めている。
「執筆記録」を見ると、その年「珠洲焼資料館」館長になっている。
ということは、資料館長の肩書きで友人代表スピーチをしたのか?…


その年は、
『講座蓮如』第2巻(平凡社)に「蓮如習俗論」
『日本民俗大辞典』(吉川弘文館)に9項目
講座『日本の巡礼』第3巻(雄山閣)にこれは転載だが「能登国三十三観音巡礼」
能登文化財』に「早船狂言と羽歌」
毎月の「尾山御坊」紙の連載・蓮如上人と伝承
新聞の文化欄などに3回、わじま納貯連、大谷大学博物館年報などに執筆している。
9月には、「全国豊かな海づくり大会」が開かれた年でもあった。
いつも追われているような時に名古屋へ行ってきた…それは教員としての忙しさではなく、寺役に加え、原稿や資料館業務のせいだったようだ。
今、安部氏の受賞を機に、
自分の来し方、40代末を見直すことができた。
こんなところにも、直木賞効果。


ところで、安部氏は、かつて珠洲出身の西氏・坂氏とともに、何度も珠洲をも訪ねておられるはずだ。


忙しくなるのだろうけど、今後も能登珠洲を訪ねていただきたいものだ。

西のぼる氏関係

『能登国三十三観音のたび』装幀西のぼる氏
装幀
芸術の秋

山秋 真『原発をつくらせない人々ー祝い島から未来へ』(岩波新書

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年賀状に、岩波新書から一冊出しました、と書いてあった。

そうだった、その方のペンネームは山秋さんだった。
早速、購入。