岩のり採りー馬緤(マツナギ)海岸、大乗妙典塔、塩田記念碑

12月28日。穏やかな日。
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岩のり採り。
寄り揚げの浜

大乗妙典塔

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『伝説とロマンの里』の第3章26「大乗妙典塔」では、旧内浦町4基、珠洲市1基の大乗妙典塔を紹介し、万福寺と馬緤の塔の写真を載せた。
馬緤の塔は、夏の草木が生い茂っている時に撮ったもので、冬に一枚撮っておきたいと思っていた。
そのことを思いだし、一枚。
『伝説とロマンの里』本文
「馬緤町大崎島近くにある大乗妙典塔は、貞輪尼が、仏恩報恩のために大乗妙典一字一石拝写を発願し、為し終えたのを記念して天保七年(1836)6月10日に建立した。施主は同尼天下太平・三界万霊供養なども目的としており、地上部の高さ70㌢、塔の幅36・5㌢の塔である。」(p182)
なお、25経塚の項で、「この塔(大乗妙典塔)は、経塚のある場所を示すために建てられることが多く、『珠洲郡誌』には、地滑りが続いたときに、経文を書いた石を馬緤地内の4カ所に埋め、塚を築いたことが載っている。」(p180)と記した。
関連が問われる塔である。

忍久保善太郎氏顕彰碑

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『伝説とロマンの里』p76第1章23塩田復活にかけた人々」では、
藻寄行蔵「能登国塩田復興碑」と橋元勗(ツトム)氏銅像の写真(戦前の写真)を載せた。
忍久保氏の記念碑は蔓に覆われていて、写真に撮ることが出来なかったが
やはり冬ということで、側まで行くことが出来た。
わずかに文字も残っている。
ただ、岩上ぎりぎりの所に建っているため正面に身を置く場所がない。
横から文字を斜め見したところでは、漢文の断片のように思えた。