【志賀町】火打谷・助成講、燧石

燧石・木の葉石は『伝説とロマンの里』p275に記載。
11日(日)、その火打(燧)が地名となっている
火打谷・西立山極応寺さんで「助成講」があり、その法話にいってきた

火打谷【角川地名辞典】

能登半島中央部の内陸部に位置し、東側は眉丈山系が迫り、北・西もその支脈によって囲まれ、わずかに南の一角が旧福野潟に面する。
火打谷と出雲の2字に分かれ、その間にも山塊がある。鉱物資源が豊かで、酸化マンガン・硝酸・呉須(瓦の釉薬に使用)、石材に利用される出雲石などと多数。地名の由来は山中より産出する燧石の出る谷の意とされる(志賀瑣羅誌)

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巨大な燧石。
白山神社境内にある。
お寺の庭にも燧石があるとのことだが、行事のさなかだったので見てこず
そのうち見学してこようと思っている。
天保5年(1834)、加賀若杉村から隣村の梨谷小山村に来ていた陶工が、火打谷山中で呉須を発見し、釉薬として利用し梨谷小山焼きを生産したという。
品は梨谷小山・西性寺さんの資料館で見ることが出来る。
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火打谷の景観。
明治19年(1886)、石川県農学校が村内・串田野というところで開校された。
東京、札幌とともに全校3大農学校といわれたという。
いろんなところに、いろんな歴史がある。
農学校は同29年能美郡小松町に移転。
現在、石川県緑化センター(火打谷ハ44)

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左・白山神社鳥居の右側に燧石がある。
右の丘状に、極応寺さん。
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浄蓮寺のイチョウ(北吉田・真宗大谷派
樹高約35㍍、胸高回6.8㍍。地上3㍍で3岐しさらに分岐を重ねている巨大なイチョウ
志賀町指定文化財・昭和48年指定。
いつの記載かわからないが、案内板にはこのようにある。