金沢・大野散策ーよみがえる友ー
10日(土)金石(かないわ)に用事があり、9日大野に泊まった。
10日の朝。
伝泉寺(真宗大谷派)ー宝筐印塔・五輪残欠
これら、味わいのある旧家、醤油屋
御座船の遊んだ川
上の解説「前田藩主お船遊びの水面。上流お舟小屋より乗船して、この大野川をさかのぼり、河北潟を回遊され帰城された由」
下「義経の松(2代目)」
春(3月17日)は志賀町福浦港公民館でお舟歌を話した。
この13日、輪島重蔵神社でお話しすることになっている。
海歌を話したい、と思っており、またこの地にたたずむことが出来たのは
ちょとした感慨。
「第四高等学校漕艇部新艇庫跡」
金大のボート部に同級生がキャプテンを務めていた。
キャプテンになる前の出来事だったと思うが
冬、河北潟で練習中にボートが転覆し、下級生と泳いで救いを求めにいった。
全員助けられたが、下級生はおぼれて亡くなった。
お盆に帰ってくると、必ず彼は私の家により、その後、後輩の墓参りをしてから勤め先の日立市に向かった。
ある年、彼は姿を見せず、
部下たちを連れての東京出張中、
横断歩道を渡っているとき、免許取り立ての車が飛び込んできた。
彼は、部下たちを突き飛ばし、
自分ははねられて、亡くなった…
ことを知った。
帰省する数日前の出来事だった。
生きていたら
60過ぎた今、彼は帰ってくるのだろうか
※1989(平成元)8月16日、逝去を知る。旧3cメンバーに連絡。17日花輪・通夜、18日葬儀。
それとも、田はどこへ行ったんだ、というのだろうか…
と、時々考えることがある。
この記念碑を見たとき、そのことが浮かんだ。
長く生きていると、いろんな出来事が積み重なっていく。
日和山、途中からの景。
雉子が3羽~4羽、順々に左の広場から、右の茂みにトコトコと走っていった。
【知人】大野日吉神社
そういえば、このような本があった。
監修者の今村充夫さんからいただいた。
『大祭 大野日吉神社千二百五十年祭記念誌』
昭和62年・1987年12月25日発行、十月社制作
このような感じの働く若者たちが多く泊まっているビジネスホテルに宿を取った。